幻聴日記からの9章

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Photo & Text: m a c h i n i s t


自然体・・・だけどほんとは硬派。和田博巳流オーディオ的快感


オーディオ評論家のなかでも飛び切りの売れっ子で、とくに若い世代にファンが多い和田博巳さん。ステレオサウンドの連載エッセイ「ニア・フィールド・リスニングの快楽」今号では経験的低音論を展開し、最後をこんな感じでまとめている。
「・・・音楽を楽しむ上では、ナローレンジでも小型スピーカーでもそう不安を覚えるとは思わないし、録音の古いレコードを聴いていれば人生それでハッピーと、利いた風な台詞を吐いた僕が、なぜこんなにもワイドレンジな(17Hz〜50KHz!である)スピーカーを使うんだ。わけを説明しろ。とこういうことになるが、んー、困った。演奏はまあまあでも80年代以降にリリースされた素晴らしく録音のいいアルバムのSACDなんかを、わが家のYGで聴くと、超高域や超低域が感じさせる生々しい気配や空気感、暗騒音といったものがフッと立ち現われ、実は、いやがうえにもオーディオ的快感を喚起するのだ。よって私、今後は音楽マニアという看板を下ろして、オーディオマニア宣言させていただく。問題は特に無いと思う。」

いつもの軽妙な文体につられて最後まで読んだら、結論はそれかい(笑) かくいう私は幻聴日記の003で「脱オーディオマニア宣言」しているから、まあ、入れ違いのようなものだが、あまりの面白さにイスから転げ落ちそうになりましたと感想をお伝えしたら、「死ぬほど嬉しい」っていうご返事をいただいた。それがきっかけで、ほとんど初対面の和田さんに逢いに行った。彼のオーディオ関連の文体は独自のスタイルを築いていて、じつはとても憧れているのだ。

空がやけに広い新浦安の風景を楽しむ間もなくアッという間に和田邸に到着。かの朝沼氏がリスニングルームに設えたあの空間である。全然知らなかったのだが、すっごく若い奥さまがいらして、それがまた、超美人で年齢が彼とうん十歳はなれてるんですって・・・まったく羨ましい人生があるもんだ。
というわけで、昼日中からワイングラスを傾けつつ、まずは長年使い込まれたというロジャースのLS3/5A(15Ω)でラファロ時代のエバンストリオや、マイルスのCBS初期、バルバラの前中期を何点か聴かせていただいた。

部屋のほぼ中央に孤立して置かれたLS3/5Aは、それでも音楽の重心が心地よく低く、独特の不透明感がミュージシャンの存在を際だてている。よほどの大音量を望まない限り音楽を聴くには適切なかつ十分な器だと改めて思った。DENONのSACDプレイヤーと上杉のプリアンプ、パワーアンプは正月に自ら製作されたという300Bシングル。エディー・パルミエリ"Perfecto"のなかの一曲にとりわけ心を奪われてしまった。ブラスセクションがトロンボーン3本という構成が面白いし、少ない音数でサウンドの裏側まで見るような感覚にゾクゾクした。サルサ系はいままで聴くことが少なかったのだけど貴重な経験をした。

と、ここまでが先の連載記事の前半部分に重なるわけで、あの記事の追体験モードになっている現在、YGアコースティクスにいやが上にも期待が膨らむ。じつは3か月くらい前にウルトラマニアのビーグルさん邸でアナットリファレンスは体験済みなので、そのポテンシャルの凄さは承知しているつもりなのだが・・・ しかし、柔和な雰囲気の和田さんとALL金属筐体のこのスピーカーシステム"Anat Reference studio"はどうもイメージが結び付かない。改めてシステムのラインナップを記すと(装置がどうたらは実際どうでもいいのだが、マニア宣言なさったことだし・・・笑)フロントエンドがCHORD CODA+DAC64IIデュアルリンクとロクサンのアナログプレイヤー、針はライラのHelikonでフォノイコがCHORD Symphonicという盤石の布陣。プリはクレルのちょっと古いモデルでこれじゃないとドバっと来ないらしい。パワーはLINNでトライアンプドライブ(ネットワークはアナット内蔵)という構成だ。

途中の雑談でマイルスはCBSのトニー・ウイリアムス、ロン・カーター、ウエイン・ショーター、ハービー・ハンコックを擁していた時代が最強ということで意見が一致したので(笑)アルバム"ESP"から「アジテーション」をリクエストさせていただいた。この時代のマイルスのなかでも白眉の一曲だと思う。そうそう、あとで気がついたのだけれど、この日(9月28日)はマイルス・デイビスの命日だったのだ。

で、どうだったかというと・・・す、凄い!凄すぎ! わが家でもその再生音にはかなり納得していたのだが、次元が違った。まさに新次元だ。極めて強靱なボディと滲むようなアンビエント成分が指で示せるくらいに識別できるのに、あざとい分離感はない。マイルスのミュートでマウスピースと唇の圧力変化さえ、あのサウンドの中に示されていたのかと悔しい思いをした。低域のファンダメンタルは、意外というわけではなかったがかなり控えめに感じたのは気のせいか。LS3/5Aの低域が足りない分を総量で補う再生術に耳がすでに馴染んでしまった、と一瞬思ったが、彼の通常聴取音量はさらに高いところにあるのかもしれない。しかし、凝縮して一糸乱れぬスーパーソニックエクスタシー。これは烏滸がましいはなしだけれど、わたくしが目指しているものとほとんど同一だ。

一転して、Joe Henry(じつは、この人のことはまったく知らなかった)の "Scar"では、アーバンな香りを放ちつつ蒼い澱が積もっていくような哀愁、それを高張力アルミニュームエンクロージャーが一切の箱鳴りを排除しながら表現するのだが、マイルスのときと打って変わって加工しまくりE-Bassの人工的なブーミングを深くかつ豊かに表現する。さらに、エディー・パルミエリの別アルバム(タイトル失念)の高揚感はどこから来るのだろう? 聴き手の血を沸騰させるラテンの本質を伝える装置というものがあるとすれば、和田さんの音はまさにそれだ。どうも、装置の示す限界をなかなか捉えきれない。思うに、このアナットリファレンスは(というか装置全体が)固有のサウンド傾向を持たないのかもしれないと思った。ふつう、そういう場合は味気ないつまらんサウンドになりやすいが、むしろ正反対だからここは謎だ。

先の文章で「オーディオ的快感を喚起する」なんて仰っておられるが、ここまで聴き続けた印象でそれは「音楽的快感の喚起」の間違いだと確信した(笑) 音を超えたところを明らかにするための能力、それはたぶん客観的アキュラシーのことではないと思うが、多様な音楽と使い手の感性に向き合える狂いのない鏡。それが和田さんの求める究極のオーディオ装置なのではないか。その点、ここのLS3/5Aも最大音量さえわきまえれば、同質の能力を持っていると感じた。あるレベルを超えた使い手にとって「音楽的」と「オーディオ的」に境目はないのではないか。音楽的インパクトとオーディオ的快感はじつは同じことを違う視点で見ているだけかもしれない、なんてことを考えた。

知るひとも多いと思うが和田博巳さんはその昔、日本語ロック黎明期の代表的なバンド「はちみつぱい」のベーシストであった。下記のサイトの71年から75年までの軌跡は、フォークからロック、その後のニューミュージックにいたるリアルタイム年代記でもある。そのなかでベーシストとして、あるいはプロデューサーとして培ったキャリアがいまのサウンドに投影されていると考えると、なかなか・・・これはちょっと敵わないかもしれない。
飄々として自然、けれど揺るぎないご自身のスタンスも垣間見た。じつは鋼(はがね)の人かもしれない。だからアナットなんだ。(2007年9月記)

"はちみつぱい"の軌跡はこちらから。
http://www.geocities.jp/spanishcastlemagic2005/



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