幻聴日記からの9章

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Photo & Text: m a c h i n i s t


Thinking Now 02
032 世界のすべては「振動」で作られている・・・

そんなことを漠然と思いはじめた高校生のころが、基点だった。数学はとっくの昔にドロップアウトしたので、物理学や天文学への道はあきらめていたけれど、見えない螺旋がすべての時空を張り巡る世界を想像し、X,Y,Z軸が等価の構造を考えるところから始めた。
この概念を示すべく「Texture A」という作品を1977年のモダンアート展に出品し、デザイン部門の最高賞を得た(写真上)。その一週間後に「Texture B」(写真右)を現代日本美術展に出品した。これも入選し東京と京都で展示されたが、いずれも反響は無きに等しいものだった。
スパイラルが空間を満たし構造化されていることを、審査員は解ってくれただろうか。構造を見せたいだけなのに、輪郭を隠すことができないジレンマに陥った。これは表現としては不備な企みかもしれないと、二次元平面による表現に軸足を移したが、満足な成果が出ないまま今にいたってしまった。


042 フレームの存在

構造を見せたいだけなのに輪郭を隠すことができないジレンマから、二次元平面による表現に軸足を移した、という話のつづき。
立体物は、われわれの生きている時空間と同一のキャンバスに置かれるので「表現」としての困難さを内在していると思う。三次元の外枠をつくることは可能でも、それは二次元のフレームが意味するものとは異なる。たいていは人形ケースのように、それさえもオブジェ化されてしまう。その点、無限に広がる平面表現というものは現実的ではない。フレームという暗黙の了解が二次元のカタチを成立させていると言えるし、送り手の表現意図を明確にする「仕掛け」でもあるわけだ。
ふと、オーディオの「フレーム」はどこにあるのだろうと思った。

オーディオ再生のキャンバスは、われわれが呼吸する空気そのものだから、オリジナルと同じ次元で勝負をしなければならない難しさがある。対象の次元を減らすという表現上の武器はとりあえず使えない。
あるとき、対象のフレームに相当するものは「境界」であるとAUDIO DEJAVUの掲示板の論議で教えられた。このBBSに集う人たちの見識の高さに驚いた。これは立体作品でも同じかもしれないと後に思い至ったけれど、この、目に見えない境界は各人でさまざまな解釈をとれるのが興味深い。たとえば「日常と非日常」や「音と音の向こう側」であったり、「現在・過去」「自己と他者」という区切りもある。
オーディオの価値を、既にこの世にいない演奏家を呼び戻す仕掛けと思っている僕は、やはり「過去と現在」という越えられない壁にとらわれているのだろうか。


045 精緻の限界点

このページの写真は750×500ピクセル、トータル375,000個の画素で構成されている。ウエブの画像としてはけして小さくはないけれど、目に入る事象を精密に表現するためには大きなハードルだ。遠景の木々の葉やビルのタイルの目地を克明に再現することはもちろんできない。ただし画像情報というのは、解像度と階調の共同作業だから、階調の助けを借りれば最小ピクセルより細いラインを感じさせることができる。例えば「044」のアンテナを吊っている細いワイヤーの表現。目の識別能力が最小レベルの近傍、つまり感じるか感じないかの境目付近では、太さ(位置情報)より明度差に依存することが多いのではないだろうか。同じことはオーディオにもいえると思う。微小音量域では階調をとりわけ重視すべきなのに、なにかにつけ解像度でものごとが決まるというような考え方は残念だ。


046 時空の所在

「場」は磁力がなにを媒体にして伝わるのかを考察して生まれた概念らしい。それ自体は見ることも感じることもできないけれど、周囲や他者に影響を与える、いわば「情報網」の柔らかい骨組みのようなものでもあり、情報そのものでもあり、物質のベースでもあるという変幻自在さ。「場所」はいうまでもなく特定されたエリアのことだけど、漢字における「場」と「場所」の使い分けは見事だなあ。
アインシュタインの方程式「E=mc二乗」は、エネルギーと物質はカタチを変えただけの「同じもの」であることを示している。「場」「エネルギー」「物質」はそれぞれが空間濃度のバリエーションでしかないのか。質量が空間をゆがめることは周知として、もしフラットなテンションのない空間というものがあるとすれば、それは虚無(ゼロ)の世界だけれど、いったいどこにあるのだ。膨張しきった宇宙のなれの果てのことか・・・。


060 代数と幾何、あるいは離散と連続。大橋力の世界観

「音と文明------音の環境学ことはじめ」(岩波書店刊)は、音の分野に限定されない広大な洞察力に圧倒される。著者の大橋氏は、情報や生体、環境を横断する学際的な研究者で、あの芸能山城組の主宰者山城祥二氏でもあるのは御存知のとおり。600ページの本文は、音楽制作の現場体験をはじめとして、知覚・意識の生体学的論考から数学、物理、音楽の各テリトリーを縦横無人に駆けめぐる大橋ワールド。非言語←→言語、幾何(量)←→代数(数値)といったようなアナログ、デジタルの両翼から、記号化で失なわれるものの重要性をくり返し述べているのが興味深い。これは、お買い物ガイドのはるか先に位置するオーディオ評論でもある。


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