幻聴日記からの9章

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Photo & Text: m a c h i n i s t


三味線音楽
034 伝統は精神を未来へ繋ぐ系である

当サイトの「録音から探る三味線音楽の世界」というコンテンツ。SP音源の聴取ができるページもあって(遅々として進行していないが)けっこうメールを頂戴する。亡き祖母の遺品のレコードを買ってくれませんか、などの依頼も多く閉口するんだ、これが(笑)。
なかに吉住小三郎の長唄に感動したという嬉しい知らせがある。それも三味線音楽には興味がなかったクラシックやジャズの愛好家だったりすると、なおさら嬉しい。彼の演奏は大半の録音がCD化されていないので、ある方はSPレコードが掛かるプレイヤーを仕方なく導入したと知らせてきた。ったく、いまどきのレコード会社は・・・。
吉住小三郎は、長唄を鑑賞音楽として確立させた先駆者であるが、そんなことを考慮しなくても、声楽家としてジャンルを越えた一流の存在だと思う。けして派手な演奏ではないけれど、受けとめてくれる人たちがいる。どうも純邦楽の関係者たちは、他ジャンルの音楽ファンにアピールする意欲に欠けているし解ってないのよね。だから、洋楽と融合させれば新しいみたいな、見当違いを繰り返しているんだなあ。

長唄でいえば、発生初期から中期以前、宝暦・明和・安永あたりがいちばん力のあった時代だと思う。「京鹿子娘道成寺」や「鷺娘」「二人椀久」などの、いまに伝わる名曲はこの頃、いまから250年も前に作られた。
しかし未来永劫に続くポテンシャルはあり得ない。スタイルの確立というのは両刃の剣でもある。真のクリエーターはジャンルを考えて始める訳じゃないから、最初は混沌として猥雑なものだ。それがある段階で洗練され定型化・類型化し、やがて朽ち果てる。現代物理学でいうところの、構造が残ってエネルギーがなくなりかけた状態。
生で聴くことのできる三味線音楽の大半は、伝統の周辺に散らばった抜け殻のようにしか思えない。残念ながら・・・。伝承形態が幾年の重みで破綻を来したのか。かたちを受け継いでいくことの疲弊は、ある意味で仕方のないことではあるけれど、そのかたちは「魂」の外形を示していたはずだ。だからこそ、かたちのなかに潜む「精神」を受け継いだ三味線音楽を、いま聴きたいと願っている。三味線は他の楽器に代えがたい表現力を持っているのだから。


059 伝統音楽における低音問題を考える。

幼いときから西洋音楽に馴染んでいる現代日本人が、日本の伝統音楽にふれたとき「なんて甲高い音楽なんだ!」と感じるのはごく普通の感覚だと思う。歌舞伎で使われる音楽は長唄、豊後系浄瑠璃、義太夫が主なものだけど、大太鼓などがパルス的が使われることはあっても、西洋音楽にあるようなファンダメンタル(基底音)として仕組まれたものではない。日本が地震国であるということと関係ありそうだけど、「低音」は神の世界や自然界に属する「恐れおおい」ものなんだね。先の大太鼓の例でも、使われるシチュエーションは、天変地異であるとか、なにか巨大な存在の顕現であるとかだ。ちなみに写真の大国魂神社の巨大太鼓も、神輿を先導する悪魔払いがその役目だ。


183 分・不・相・応

古靱太夫(後の山城少掾)が三味線の四世鶴澤清六と組んだ昭和初期の電気録音は、義太夫の持つダイナミズムやスピードを余すことなく収めていて、レコード技術の歴史からも貴重な作品群だ。いち段が90分くらいあるので、SP盤では全30面という厖大なセットになってしまう。信じられないことではあるが日本のレコード会社は戦後のある時期、原盤も含めぜーんぶ廃棄処分にしてしまった。だから市場に出回ったレコード盤が残された唯一の記録ということになる。(注:堀川は最近になってCDで復刻された)
純観賞用の義太夫は発売数も限られ、完全な状態で現存しているセットは少ないはずだ。たまに何処からか放出されるがオークションでの落札価格は限りなく高騰している。とはいえ、発売された当時はとんでもない価格で、それこそ給料何か月分という世界。この2点、わたくしごときが手元に置く資格はないのだけれど、思いあまって入手した。もったいなくてまだ聴けない(笑)。


219 今藤政太郎リサイタル「勧進帳」12月5日 紀尾井ホール

政太郎師に一から長唄を教えてもらったぼくが、批評めいた文言を述べる資格はないが、とにかくいい演奏だった。ストイックなまでに一切の色香を排したモノクロームの世界だから、義経、弁慶、富樫の謙譲の美徳とそれぞれの内に秘めた愛を示せたのかもしれないと、あとで思った。政太郎師は一音でオーラを発生させるタイプの演奏家ではないが、ユニットの統率力と時系列の展開は見事なものだ。この「勧進帳」は6挺6枚に鳴り物6という素の演奏としては大編成にもかかわらず、ばらけることなく凝縮したエネルギーを放射し続けていた。とくに鳴り物とのコラボレーションでこれを越える演奏は想像がつかない。


221 息

西洋音楽が心臓の刻むパルスをリズムの基準としているというのは乱暴な話だけど、日本の三味線音楽のリズムが「息」をその糧にしているのは確かだと思う。唄ひとりに三味線ひとりなら、上手くいったとしても、先の「勧進帳」の演奏のように多人数で合わせるのは至難の技だ。立三味線の息に唄方も鳴り物陣も合わせるわけであるが、至上のアンサンブルは見えない系で各人が結ばれている。ごく稀に有機体の「球」を雛壇の中央に感じることがある。


312 SP盤、最初は片面だけに溝が入っていた。

SPレコードが開発されたのは日本の年代でいうと明治の中頃。片面だけに溝が刻まれていたのが両面盤に改良されたのは大正の中期。これは、利便性もさることながら当時蔓延っていた海賊版からのガードの意味合いが大きいらしい。両面プレス機は当時とても高価だったようだ。この勧進帳はご覧のように片面盤であり、大正の中頃までに録音されたということが分かる。長唄の六世芳村伊十郎は、大正期から昭和初期に劇場長唄に君臨した巨星で、勧進帳だけでも夥しい数の録音を残している。昭和3年の日本初の電気録音盤もこの人の勧進帳であった。この片面盤は機械吹き込みながら全盛期の声が入っているはずで、未聴ゆえイメージだけが拡がる今日この頃。


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