幻聴日記からの9章

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Sense of Audio 01, 02, 03 ◆My Favorite Cinema 01 ◆Cosmic on Bach 01 ◆MILANO1979 01 ◆三味線音楽 01
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Photo & Text: m a c h i n i s t


Sense of Audio 03
225 非接触

土曜日に浦和まで出向いて、レーザーターンテーブルを体験してきた。このプレイヤーはアナログディスクの音溝にレーザービームを照射し、反射率の変化から溝の変動を測り、音楽信号を再構築するハイテクマシンであるが、すべてのプロセスをアナログで処理しているところがいっそう凄い。機械としての興味はもちろんのこと、持参した数十年前のSPディスクがどのように再生されるのかに大きな関心があった。

まず宮城道雄の「春の海」のオリジナル盤は非常に反りが激しく最大3ミリ程度上下するが、これを一度も途切れることなくトレースした。わが家では針圧を2割ほど増やしてようやく演奏できる代物だ。もうひとつのサボイ盤チャーリー・パーカーはコンディションの良いディスクではあるが、会場にいた全員が驚いたくらいの見事な再生音。耳障りなはずの摺動ノイズは空気の薄い膜を通したかのように「フワッ」っと軽い感じ。パーカーのビッグトーンも若き日のマイルスもライブネスを湛えた鮮明さで1937年の録音だなんてとうてい信じられない。
電気録音のSP盤に限れば、このレーザーターンテーブルは最高の仕掛けではないかと感じた。LPディスクはどうかというと、これはスタイラスで剔るほうが実体感で勝っているかもしれない。トレース時の塩化ビニルの変形やピックアップ系の共振などをディスク自体が見込んで作られていたのかどうか、これは断定はできないが・・・。


232

オーディオやっていて、なおかつ写真も映画も好きなのにどうしてAVはやらないの?という疑問をいただくことがある。ポリシーがあってのことではないので返答に窮するが、あらためて考えてみた。
オーディオはモノーラルであっても、空間というリアルなキャンバスに展開する。対して世界が投影される「平画面」はいかに高精細であろうと、これを現実と間違える人間はいない。次元を減らすという作業がすでに表現行為の一部であり、これに付け加える何ものも受け手側には残されていないというのがぼくの考えだ。送り手の表現意図が感受できるレベルに達していれば深追いはしない、ということなのかしらね。AVに打ち込んでいる人はこの閾(しきい)値が異常に高いのかもしれない。いやあ助かった、低くて・・・笑


267

蓄音機にはじまり、モノーラル、ステレオを経て、多チャンネル伝送系への進化。その時々で人間は新しいヴァーチャル世界に驚愕しながらも、その先を目指してきた。しかし感覚の絶対量は時代によって変わるものではないと思うし、進化と退化は併せ持つものだ。いち個人のなかでも成長と老化は同時に進んでいるわけで、最後は「感動するこころ」と「聴く技」だけが残るのかもしれない。


273 24コマでいいのか?

映画館にはあまり行かない。その理由のひとつが一秒24コマという間欠輸動方式で、動きの速いシーンはどうみたってパラパラアニメではないか。この大画面を見続けるのは苦痛だ。初期のシネマが10コマや16コマだったものがトーキーの導入で24コマに改良された理由は、人間のヴァーチャルセンサーの拡張による新たなリアリティへの願望だったはずだ。ならば音響部分が当時より格段に進化している今、72コマ/秒くらいあっていいと思う。フィルムの露光時間とかいろいろ障害があったのは解るけれど、それは75年前のはなし。


286 ハイブリッド・バイアンプの実験1

ここ2年間、ワンパワーアンプ+LCネットワークでALTECのユニットを鳴らしてきた。過去にはパッシブ素子を組み込んだチャンネルディバイディングやLCネットワークを活かしたままのバイアンプなどもトライしてみたが、納得できるレベルに追い込むことは出来なかった。
今回、バイアンプ駆動に再びトライしようと思いたったのは、15インチのダイレクトラジエータ(ALTEC 515B)と2インチの金属振動板のコンプレッションドライバ(ALTEC 802D)という動作環境のまったく異なる発音体を組み合わせる場合、同じアンプだから等しい動作をしているとは限らないと考えたからだ。それぞれに相応しい駆動方法があるはずで、求められるのはトータルでの整合性だ。
というわけでウーファー用に現行パワーアンプQUAD 303 をそのまま用いて、中高域に管球シングル動作の自作アンプを充てるプランが浮上した。ハイブースト回路を組み込んだネットワークやアッテネータはそのまま流用する。
大気圧以上の負荷をほとんど受けないダイレクトラジエータの駆動にはパラレルPPのAB級OTLアンプ。一方、完璧なホーンロードの支配下にあるドライバには、出力トランス付きシングルA級アンプ。この手法、意外といけるのではと、期待をこめてさっそく繋ぎ替えてみた。もともとバイワイアリング仕様にしているので作業は30分で完了した。こんな簡単なことをいままで試さなかったのは、ここ1年、音的には不満なく音楽を再現していたのと、シンプルな方式に勝るものはないという盲信からだったかもしれない。

QUAD 303でALTEC 515を鳴らすという非常識は世の中でぼく一人と思うけれど、これ、実は良く合っていた。ルーツも想定使用環境も相入れない両者ではあるが、音を内側に丸め込む感触や位相的な滲みの少なさに同質のものを感じる。この組み合わせ、湿度感は隔たっているものの、打楽器の立ち上がりの自然さを聴いて、これ以上の物量投入は無意味と知った。惜しむらくは肌理が粗いことで、高域側では顕著だ。まあ70年代の家庭用アンプに微粒の空気感やしなやかさを求めるのは酷かもしれない。
一方の管球アンプは十数年前にRogers LS3/5A用に製作し、改造を重ねたもの。低域方向の制動力と色数の少なさを除けばほとんど問題点を見いだせない、というのは自画自賛でしかないが。上記の粒状感ではQUADを凌ぐし、高域の伸びはむしろ優れているように思える。ちなみにMJ誌やSS誌が我が家に取材にみえたときは、このアンプのみで鳴らしていた。今回の実験、この両者のいいとこ取りとなるのか・・・。*手前に見えるプリアンプはバイアンプ駆動用に2系統の出力をもつが、相互干渉をさけるため片方の出力はライントランスを経由する。

モダンファドの第一人者Misia(http://www.uk.misia-online.com/)彼女のアルバムのなかでぼくの一番の好みは1999年録音の「PAIXOES DIAGONAIS」だ。この1曲目のタイトル曲を最終トラックではピアノ伴奏のみで歌うが、ひたひたと迫ってくる情感の密度がチェックポイントだ。
今回のバイアンプ方式では、QUAD単体使用のときにかいま見せた硬質感がなくなり、ピアニシモが空気に同化する様はかつてない領域に達したと思う。このトラックのピアノ演奏は、ためらいとピアニシモのコントロールが絶妙で、純正調的なファドとの音階の違和感を覆いつくすほどの美しさ。ただ低域がファットで力感がそがれる印象もあり、ネットワークの再調整が必要になるだろう。


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