幻聴日記からの9章

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Photo & Text: m a c h i n i s t


Sense of Audio 01
003 非マニア宣言!較べることに飽きた。

オーディオ装置は、けっこう複雑な系で成り立っているから、なにかを換えれば音はかならず変化する。オーディオマニアはそういう不安定な仕掛けを楽しんでいるのかもしれないけれど、ぼくはマニアではないので、いつも同じコンディションで聴きたいし機械のことは出来れば考えたくない。くるまのフロントマスクは運転しているときは気にならないものです。ちょっとはなしが違うか(笑)。機械の出す音はそれぞれ異なるけれど、機械同士を較べてどうするんだと個人的には思うわけ。較ぶべくは音楽との距離であって、いつも一対一の関係ではないかと・・・。


007 音場か、音像か、それが問題

原寸大のオーケストラがリスニングルームの大きさと関係なしに感知できるという音場再生に違和感をもっている。超リアリストなんだね(笑)。かといって部屋のサイズにあわせてミニチュアのオーケストラを展開させるのも、盆栽を愛でるようで・・・。
オーケストラのような集団表現は、作曲家の抽象、概念の具現化という意味合いが大きいと思うし、それは出た音と等価以上かもしれない。もとよりコンサートホールは、多くの観衆に聴かせるための手段なわけで、絶対条件ではないはず。100人の演奏者の集積音がサッカーボールくらいの塊になって、それを1.2メートルの距離で聴くのも、それはアリではないかなあ。

再生音を聴くとき、意識は「音像」に向かうことが多い。ぼくの場合。しかしこの音像は切り絵のような平面ではダメで、側面から裏面に回り込んでいく様子や、背後の気配さえ感じさせてくれる三次元の音塊であってほしいし、願わくば周囲がすこし滲んで空気と溶けあうさまも・・・ということは「音場」を再現することと変わらないのか? そう、変わりはないけれど、構築することと意識をどこに向かわせるかは、微妙に異なる問題なので、そこに個人のさまざまなアプローチがあると思う。


011 限りなく透明に近い・・・

「透明感」という言葉はどうなんだろう。音像の表面の不透明な膜が本体のクリアネスを損ねている、というなら分かる。でも「透明な音」っていう表現は、音像の向こうに別の音像が透けて見えるような状態を想像してしまうのです。これはかなりアンナチュラルな世界。個人的には音量を絞り込んでいって限りなく無音に近い状態に「透明」を感じるのだけど、ヘンかなあ。
ついでに言うと「くちびるの大きさ」とか「滲みのない音」あるいは「ピンポイントの定位」なんていう表現にも、違和感を感じるわけです。なぜかといえば、人間の声はくちびるが出すわけではないし。音には滲みがあるし、音像には幅があるから・・・。


038 アナハイムの「トスカニーニ」

憧憬でしかなかった、輸入オーディオ機器で武装したジャズ喫茶のリニューアルOPEN。吉祥寺FUNKEY、1970年春のことだった。2階に置かれたALTECが聴かせるニーナ・シモンにこころを奪われた。ダイレクトな実体感と色彩感。音は輪郭ではなくアーティストの実体を示さなければいけないと教えられた。そのA7-500システムに使われていたホーンがこの511B。
四半世紀後に1年がかりで自作したスピーカシステムはこのホーンなしには成立しない。わずか1インチ径のスロートで500Hzをカバーする。古いALTECブランドに使われていた指揮者のイラストを組み入れたマークを、このシステムのために新たにデザインした。描かれている指揮者はトスカニーニなんだそうな。


058 ウルトラソニックナチュラルドラゴン

名付けて「機竜」。かの長岡鉄男氏の「ネッシー」を強化・モデファイしたR邸のオリジナルスピーカシステムだ。エンクロージャーは鋼鉄の鎧をまとった@180Kgという壮絶なもので、支えるフロアは地球から生えたコンクリート。そのサウンドは、途方もない質量の粒子が光速でやって来るかのような衝撃に満ちている。なのにヴォーカルは人間のぬくもりさえ伝える表現のダイナミクスを備えているのが不思議。
長岡氏を教祖と崇める、そっくりさんは多いけれど、R氏も製作者のA氏もあの時代に停滞することなく絶えず進化させているところに惹かれる。流儀の異なる、わたくしにさえ魅力的なワン・アンド・オンリーの音世界。じつはちょいとばかり影響を受けはじめている。音は「物質」であると主張するそのサウンドに。アブナイアブナイ・・・


106 消え入るヴォイスと無音との狭間

この週末に、若いオーディオファイル3人をお招きし、わが家の装置で音楽を聴いてもらった。いまだ調整中のパッシブハイブースト回路の定数は確定できず、おまけにこの時期の湿度の高さが加わり、チューニングはあきらめていた。3時間くらいの予定が夕食をはさんで延々8時間半に及んだわけだけど、最後にカートリッジをオルトフォンSPUに換装して、音量をごく控え目にして、そこで奇跡は起きた。バルバラ初期の「Dis quand reviendras-tu?」。消え入るヴォイスと無音との狭間に彼女の思いが隠されている。観念的には分かっていることでも、目の前の空気を鳴らして表現することは至難で、いままで聴いたことのない世界に鳥肌が立った。そして、それを受けとめてくれた人がぼく以外にもいたことが分かったときは、オーディオも結構いい趣味ではないかと確信した(笑)。


107 ちょっと脳天気な・・・

ALTECのユニットを用いた現行システムになるまで、スピーカーはイギリスをはじめ欧州製を使っていた時代がほとんどだった。画像に例えると、黒レベル近傍の階調表現を求めていたから、西海岸の健康的で乾いたサウンドは、バルバラの陰影を再現するには不向きで、当初は途方にくれた。バルバラの歌は、それでなくとも再生が難しい部類に属する。漆黒の闇を背景に内部の豊富な階調と、微妙な色彩の移ろいを表現できなければ、神経質なだけで内に秘めた豊かさを見失う。
ここ1年は目指す表現領域に少し入ってきたけれど、そのために失っているものがあるのかも知れないと、ふと思う。そう「健康的でちょっと脳天気なサウンド」のことだ。


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