●レコードで聴く七世芳村伊十郎の世界
「高尾」(高尾懺悔) これも録音年代は明確ではありませんが、昭和17年前後ではないかと推測していますが戦後のものである可能性もあります。独吟で三味線は杵屋六治(後の山田抄太郎)と杵屋弥三郎。六治時代の立三味線という貴重な記録です。六治といえば六四郎のワキで、小三郎のコロムビア録音に携わっていたのが昭和10〜18年ということです。 伊四郎の唄は実に伸びやかな美声です。屈託がなさすぎて純鑑賞用としては「?」な面もなきにしもあらずですが、舞踊の地方がこのクオリティを持っていた時代があったということを思うだけでも感動ものです。
伊十郎、SP盤時代 昭和25〜28年 他の音楽ジャンルのような詳細なディスコグラフィが発表されていない、レコード自体にも録音年月日の記録がなされないという事情から、この時代の状況は皆目見当がつきません。まぁ敗戦後の耐乏期ですからレコードどころではなかった、ということもあるかもしれません。 コロムビアの追補十番のうち「羽根の禿」がSP原盤から収録とあります。またモノラルLPで発売されたものでも、オリジナルはSP盤というものも若干存在すると思いますが、これは追って検証したいと思います。 休題1 なぜSP盤、LP盤の違いにこだわるのかというと、これは針音のあるなしといった問題ではなく、テープレコーダーの開発が録音ないし音楽表現にもたらした大きな影響からなのです。 LPディスクとテープレコーダーの実用化は時期的にほぼ重なります。SP盤の時代はテープがありませんから、一発勝負のダイレクトカッティングです。ミスがあれば最初からやり直しですし、高価なラッカー盤も無駄になります。そして最大3〜4分という記録時間の制約、これは長唄のような長大な楽曲には大きなハードルといえます。 例えば伊四郎時代の問答入り勧進帳は9枚セット全18面で構成されています。それぞれの面ごとに気合いを取り直して録音に挑むわけで、通しで行われる演奏とは異質なものです。 伊十郎、LP盤モノラル時代 昭和28〜33年 邦楽のレコードはSP時代から伝統的に25cm盤が主流で、LP時代も多くはこのサイズで制作されました。収録時間は片面20分程度ですので、小曲は片面、大曲は両面といった構成です。 現在(2002年春)発売中のCD盤伊十郎全集のうち、三味線名人シリーズと銘打った数枚分はこの時代の録音ですが、残念なことに以下に挙げた楽曲はCDシリーズには収録されていません。 「吉原雀」 三味線、栄蔵の独吟物です。伊四郎時代とは明らかに異なる風格をもった歌唱で、この時点で伊十郎の芸風が確立したと考えます。栄蔵は後日のステレオ盤「勧進帳」では技術力の衰えをさらけ出してしまいますが、ここでの演奏は素晴らしいもので強靱、闊達な三味線を堪能できます。録音も鮮明で思わずダイレクトカッティングではないかと疑うほどのクオリティですが、後半二上がりでテープ繋ぎしているのが分かります。いずれにしても栄蔵の本当の姿をとらえた逸品です。 「綱館」 三味線、今藤長十郎の独吟物。ステレオ盤の山田抄太郎と組んだ演奏も特筆すべき名演ですが、このモノラル盤に聴かれる伊十郎、長十郎のコラボレーションは、例えればバンタム級のボクサーの鋭いパンチを思わせます。贅肉のない鋭くコンパクトな三味線と、ポジションを瞬間移動する自在な歌唱力。この時の長十郎は30歳代後半ではないでしょうか。恐るべき演奏家の登場です。 伊十郎、LP盤ステレオ時代 昭和33〜42年 昭和33年に日本コロムビアはステレオLPを発売しました。その記念盤として「勧進帳」がリリースされます。以後モノラル時代に吹き込んだ多くの楽曲を含め、ステレオ録音で再制作する計画が始まりました。これは昭和42年に倒れる直前まで続いていたはずで、この10年間にわたる成果が「長唄五十番」全集です。(ただし厳密にいうと三番ほどモノラル時代の音源を流用しているようです。) 伊十郎の声質はモノラル時代の伸びやかで艶やかなものから後退しています。その分、位取りの大きさや豪壮な面は強調されています。彼のプライドとして調子をあまり下げたくなかったのでしょうか。シリーズ後期にあたると思われる五三助が立三味線を勤めている録音などは、かなり苦しい局面があります。 純然たる観賞用レコードとして企画されていたなら、あと2本ばかり調子を下げ、もう少しオフマイクセッティングになったのではないでしょうか。冒頭に触れた「舞台用」という表現の所以です。 しかし楽曲の表現力という面でいえば、伊四郎時代から大きく進化しています。較べれば、伊四郎、伊十郎モノラル時代はストレスが無い分、音楽の核を十分に表現しきれていないのは否めません。 もうひとつ、このステレオシリーズの刮目すべきポイントは三味線方と鳴り物陣の選択で、曲想に相応しい人選がなされているように思えます。個人的趣向を述べるのをお許しいただければ、今藤長十郎、藤舎呂船が連なる演奏に最大級の賛辞を送りたいと思います。「二人椀久」「島の千歳」「安達ヶ原」「蜘蛛の拍子舞」の4曲がそれです。 「二人椀久」 初めてこの「二人椀久」のLPに針を降ろしたときの感動をつい昨日のことのように思い出します。 冒頭の「三重」のただならぬ静寂感とテンション!♪たどり行く・・伊十郎の声楽的パースペクティブ!これは通常の長唄の範疇を越える演奏であることを思い知ります。優れた音楽に存在する「フォルム」「スペース」あるいは「色」が厳然と備わっています。 ♪思いざしなら武蔵野で・・の緩やかな推進力、難しいです。庄三郎の♪跡より恋の・・巧い!と思った途端、♪ふられずかへる仕合せの・・ここの伊十郎、凄いもんです。この鼓唄まででさえ色香が微妙に交錯する難曲ですが、思うに呂船のしなやかな推進力と長十郎の精緻な色彩感の上に、伊十郎の包み込むような表現力が一体になった成果です。 「二人椀久」は長唄の歴史のなかでは古い時代に属す楽曲ですが、ここでは時空を越えた現代の音楽として息づいているのです。 「島の千歳」「安達ヶ原」「蜘蛛の拍子舞」 は後日、掲載予定です。
「英執着獅子」「楠公」 江戸長唄の爛熟を伝える細棹の名手、杵屋栄次郎 杵屋栄次郎は杵栄派の三味線方として番頭的存在であり、伊十郎をはじめ東芝レーベルの芳村五郎治の相三味線として厖大な録音を残しています。また舞踊の地方としても多くの名舞台で立三味線を勤めています。世間的な評価は栄蔵、栄二の陰に隠れがちではありましたが、まさに「名手」という表現が相応しい存在です。細棹三味線のエッセンスとも言うべき羽毛のような軽さと艶やかさを、その絶妙なノリに託して表現します。 ここに挙げた2曲は、時代も作風もまったく異なる作品ですが、見事なアプローチで曲想に沿っています。この表現の幅こそが栄次郎の技量ではないでしょうか。「英執着獅子」での古風で典雅な香り高い表現、「楠公」における凛とて逞しく、また憂いを感じさせる表現といったように・・・。伊十郎はホームグラウンドでまさに水を得た魚のように、三味線と同質のアプローチでこれらの曲を端正に、あるときは豪壮に唄い込んでいます。 「老松」 品格と強靱、山田抄太郎の冴え 伊十郎、山田抄太郎コンビの録音は、なぜかご祝儀曲が多いようです。和三盆のごとき品性と甘みを醸し出す抄太郎の音色が好ましいものなのでしょう。抄太郎の一音が放たれただけで、音楽はたおやかで陽性で「前向き」の表現になります。 光彩の「陰」の部分の表現はあまり感じられません。例えば「綱館」の老女の口説きの部分、なぜあんなに元気なのかと訝しく思ったものです(笑)。前出の六治時代の「高尾」ではそれなりの表現があったように思えますので、これは確信犯に違いありません。分析したわけではありませんが、勘所はより平均率に近いモダンな音律で、間合いも「インテンポ」を基本にしているように感じられます。 それはともかく、この「老松」の見事なまでの格調!有名な「松風の合方」は小三郎、六四郎で聴かれる杵屋六松の替手を踏襲していますが、五三助とのアンサンブルは豊かさ、正確さ、どれをとっても空前絶後ではないでしょうか。 追伸:杵屋栄蔵と山田抄太郎の三味線は生演奏を拝聴したことがありませんので、すべてレコードからの印象であることを申し添えます。 伊十郎、CD時代 昭和60(1985)〜 昭和58年にコンパクトディスク(CD)が日本で発売されはじめました。当初数年は低迷していましたが、その後の隆盛はご存じのとおり。 伊十郎のCD化は2年遅れた昭和60年に始まりました。先の「長唄五十番」のうち約半数がリリースされたようです。その後1998年にようやく新定番シリーズとして「長唄五十番」全曲と「追補十番」中の「安達ヶ原」を除くすべて、モノラル時代の音源の一部が揃いました。 この新定番シリーズはオリジナルテープからのリマスタリング技術が画期的に向上していて、オーディオ的にみても初期のCDシリーズとは雲泥の差があります。 補足いたしますと、このシリーズ全30枚のうちNo.1からNo.20までが「長唄五十番」からのステレオ録音。No.21からNo.24までが「追補十番」からで、モノラル録音とNHKの放送音源。No.25からNo.30まではモノラルの「三味線名人シリーズ」という構成です。 またキングレコードから伊四郎時代の貴重な音源の一部が「名人による日本の伝統芸」シリーズの一巻として発売されています。
休題2 長唄研究家の浅川玉兎氏の著書「長唄の基礎研究」(昭和37年改訂版)は、歴史的考察、楽理研究および諸流派の現況などを盛り込んだ格好の入門書ですが、こと録音分野では放送について若干の記述があるものの、レコードに関しては稽古における利用法解説の他は、まったく触れられていません。 三味線音楽におけるレコードの位置が舞踊の音源としての用途であったり、稽古のお手本であったりと、要は実用の域を出るものではなかったといった当時の事情を反映しているものと考えます。 このページは、芳村伊十郎の録音記録からその芸質の変遷を辿るという観点で構成している関係から、年代検証は可能なかぎり正確を期したいと願っています。しかしながらレコード自体に録音年代が記されないという業界の習慣、またこの方面の参考文献が少ないという事情もありまして、ある部分、推定でしか示せない部分が何カ所か発生しています。 もしご不審な点や誤りがあるようでしたら、何なりとお申し付けください。 休題3 ちょっとオーディオ方向に振った話になりますが、「二人椀久」のCD盤で気がついたことを少々・・・。 LP盤では、A面は♪粋なこころではらがたつわいな・・で終わり、B面は♪仔細らしげに・・から始まります。問題はB面の音質が芳しくない、ささくれだったもので、騒ぎ唄のタマの後半から一層、線の細いヒステリックな響きになっていることです。 ニューシリーズのCD盤は前記のとおり素晴らしい出来映えで、比べるとLP盤の音は濁っているのが明確にわかります。後半の音質の変化もかなり修正されていますが、テープのドロップアウトがはっきり確認できます。この件はLP盤でもわずかに感じられたということから、テープの経年変化ではなく、オリジナルテープで発生していたと考えられます。通常この位のトラブルが発生すれば没テークになるはずですが、演奏の優劣とトレードオフしたのかもしれません。 LP盤の音が濁っている原因はCD盤を聴いてある程度分かりました。それは三味線のエコー成分が原因で、一般的にスタジオ録音ではエコー成分を電気的に付加するのですが、この演奏のケースでは、かなりノイズ的なパルスとして加えられています。どうしてこのようなエコーになったのか不明ですが、多分オペレーションミスではないでしょうか。 三味線の直接音は現時点で考えてもかなりハイクラスのクオリティで、長十郎の三味線の堅牢な質感をリアルに捉えています。CDではきれいに分離して聴こえるのが、LPでは渾然一体となって濁り気味になったというわけです。 以上枝葉の話にスペースを消費し申し訳ありませんでした(笑)。 スタジオ風景の写真は日本コロムビア「長唄追補十番」の解説本より使用させていただきました。 日本コロムビア株式会社様に謹んでお礼申し上げます。 |
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CONTENTS
●はじめに 三味線音楽にはまった頃・・・ ●三味線の不思議「さわり」を考察する。 和声ではなく音色の複雑化を求めた ●昔の名人の本当の音を探りたい。 長唄の品格、洒脱、洗練 吉住小三郎 大薩摩の神髄 六世芳村伊十郎 近代義太夫の到達点 豊竹山城少掾 ●レコードで聴く七世芳村伊十郎の世界 伊四郎時代 伊十郎モノラル時代 伊十郎ステレオ時代 ●記憶に残る太棹の音色 竹澤弥七の透明感 鶴澤寛治の息の詰め 野沢喜左衛門の色彩感 鶴澤清介の颯爽 ●CrossTalk 波多野唯仁+町田秀夫 公開中! 長唄好きの2人が夜を徹して語り尽くす 以下、構想中です。 ●邦楽の発声法って本当にあるのか? ●勧進帳の不思議(楽曲の構造から) ●NHKの邦楽録音を考える。 ●半田健一氏の邦楽録音 ●伝統とは未来へ連なる「系」ではないのか? etc... |