基本的に音源のコピー等は承らない方針ですが、六代目伊十郎のレコードは手に入れるのは難しいでしょうし、この方面に御関心ある方の御希望には沿いたいと思います。
当方が保有しているのはLP2枚分、全四曲です。勧進帳、楠公、筑摩川、鞍馬山です。なお、鼓は名人、望月朴清です!ただ現在超多忙なのでいつになるか分かりませんよ。
ありがとうございます。過去の名人達の音源をCD等に復刻して、市場に流通させるという仕事は、SPレコードの一大コレクションがある国立文化財研究所や国立劇場の仕事だとは思うのですが・・・。CDショップなどに行きまして、クラシックやジャズ等の分野をみると、過去の名盤とされるものが多く復刻されているにも関わらず、邦楽では皆無に等しい現状を歯がゆく思っております。
おっしゃるとおりです。 時間と経済的余裕があったら、過去の名盤をストックした無料ダウンロードサイトを作りたいものです。レコード会社がどんな反応を示すか愉しみです(笑)。
ニットーなどすでに存在しない会社のレコードには著作権は存在するのでしょうか? ニットー盤の吉住小三郎の「二人椀久」や五代目延寿太夫の「かさね」などは、かねてから名盤と聞くだけに、一度は聴いてみたいと思うのですが・・・簡単に入手できないのが現状です。
尚、蛇足ですが明治42年にコロンビアで吹き込まれた「喜撰」は長唄が伊十郎、寒玉、勘五郎、清元が延寿、梅吉、梅三郎という豪華版で、竹本摂津大掾や常磐津林中のレコード以上に珍品として扱われていたそうです。
ニットー盤の「二人椀久」は聴きたいです。コロムビア盤もいいのですが、もっと若いときのですね。 五世延壽太夫はずっと以前LP復刻があったのですが、買い損なってしまいました。いまだにあのジャケット、夢に見ます。NHK-AMで聴いたことありますが三味線もそうですが、それは絶品でした。
失礼しました。ニットー盤には「二人椀久」は吹き込んでいません。コロムビアが唯一です。このコロムビアの「二人椀久」が発売された時には、巷の小三郎ファンが物凄く喜んだそうです。
コロムビアの「二人椀久」はお聞きになったことがあるのですか?羨ましい。「筒井筒」のくせの部分が最高と聞いたことがありますが・・・。
コロムビア盤はほとんど所有しています。というか復刻のLP全集が限定発売されたことがあります。録音状態もいいので良く聴いています。 全20番くらいでしょうか。スタンダードはひととおり入っています。白眉は「角兵衛」や「紀文大尽」でしょうか。♪破れ簾傘・・のあたりもう絶品と思います。
でしょうねぇ。金沢康隆さんもその事について書かれてます。やや長くなりますが一部分を引用しますと。
「電気吹込を拒否し続けてた小三郎・六四郎のレコードが、昭和十年末突然コロムビアから発表されたとき長唄ファンは狂喜したものでした。しかも続けざまに戦争になる頃までに二十曲位も発表され、そのうえ、今迄のレコードになかった小三郎独特の妙味を伝える「うつぼ猿」「二人椀久」「鳥羽の恋塚」「角兵衛」などという曲種が吹きこまれたことは将来どの位ありがたい資料になるかわかりません。」
それと延寿のLP復刻は、ビクターの電気吹込みの復刻ではないでしょうか?ニットー盤の延寿のレコードは、現在の宇多田か浜崎かというぐらいの売れ筋商品で、ビクターから電気吹込み盤が出てもニットーの目録から消えなかったそうです。
これは、調べないとわかりませんが、「春日とよ」などと同時に発売されたものです。キングレーベルだったと記憶していますが・・。
あと、長年思いがつのっているレコードがあります。吾妻徳穂の「アヅマ歌舞伎」アメリカ公演時の録音を米国RCAが行っていて、鼓があの名人、藤舍呂船ということもありますが、録音が素晴らしいらしい・・。
はじめて聞きました。僕がもっているテープでかなり音質が悪いのですが、藤舎呂船師籍何十周年だかの「狂獅子」をもっています。太鼓は勿論、藤舎せい子さんです。三味線と唄はだれかよくわかりません。親戚筋になる今藤長十郎でしょうか?
町田さんは東芝EMIの「日本吹込み事始」は購入されましたか?幻の常磐津林中が聴けますね。
これは比較的最近でたものですよね。 どうも林中はよく解らないのです。あの音から汲み取るのは、ぼくは力不足。ちょっと格下かもしれませんが常磐津松尾太夫の「戻橋」が好きです。
藤舎せい子さんは文句なく至上の名手でしたね。「狂獅子」はナマで聴きました。せい子さんの最後のリサイタルでした。
松尾太夫も良いと聞きますね。何でも松尾太夫の「関の扉」の全曲レコードがあるという事を聞いたことがありますが、ご存知ですか?他に端物ですが七代目幸四郎の関兵衛、六代目梅幸の墨染のレコードの浄瑠璃も松尾太夫が吹き込んでいるそうです。松尾太夫さんのご子息の千東勢太夫の常磐津も好きです。このあたりの人たちと比べると、今の常磐津は常磐津じゃないと思います。
ここで突然、自己紹介です。名前は波多野唯仁、昭和52年生まれの23才です。職業は未だ学生で、とある大学の院生です。専攻は超域文化科学というものでしで、言ってみれば横断的な比較文化研究です。本当に勉強しているのかは自分でも疑問。歌舞伎も大好きで、古レコードも邦楽だけでなく、歌舞伎の過去の名優が吹き込んだものについても興味をもっています。一番好きなのは、やはり名調子の十五代目羽左衛門です。
じつは何歳くらいの方かと、気になっていました。ぼくより若干上くらいか、でもお年寄りはMDなんて使わないから(笑)。23歳とは、想像の範疇外、「小泉」圧勝より驚きです。恐れ入りました。
よく言われることなので、もう慣れましたが・・・芝居の話でも平気で六代目がどうとか橘屋がどうとか言うので、知り合いの方から「年齢詐称」とよく言われます(笑)。
それと子供の頃から趣味で長唄鳴物を続けておりまして、プロにもとも考えたこともありますが、いろいろ悩んだ末に今、勉強している方向に進む事になりました。
過去の名人達の音源に興味を持ったのは、邦楽が好きという事や、やはり武智鉄二等の文章から影響をうけたからでして、過去の名人の芸というものはどういうものだったのだろうかという率直な疑問もこれに火をつけまして・・・しかし僕がそういうものに興味を持ったとき、完全にCDの全盛時代となっており既に入手できる音源は限られてものとなってしまいました。今になって、LP時代は各レコード会社が積極的にSP復刻や新しい作品を色々と出していた事を知り、地団駄を踏んでいました。
それでもCDに復刻されたものは、出来るだけ入手するように努力していますが・・・。なかなか復刻してくれないですね。まだ落語の方は売れるようで、六代目円生の生誕百年にあたる昨年は様々な音源が出されたのですが・・・この調子で延寿や山城の復刻も出して欲しいなあと切望しています。
このあたりの経緯、ちょっとぼくと似ているんですね。というのは、学生時代に長唄に目覚め、今藤政太郎さんに師事して唄と三味線を仕込んでもらいました。幕三重や滝流しを腕が上がる(筋肉的な!)まで続けるとか、結構ハードトレーニングを積みましたが、職業としては選びませんでした。理由は?たぶん波多野さんと同じようなものでしょうか。呂船さんは政太郎師のお父上で、せい子先生は母上。弟の成敏さんが現呂船といった家庭です。
もう25年以上前ですが呂船さん(先代)から昔の名人のお話を伺ったことがあります。 彼は膨大な音源コレクションを趣味で所有していて、でも吾妻歌舞伎のテープ、貸してくれとは言い出せなかった(笑)。
そういえば今藤長之さんはお具合が悪いのですか?最近のことは良く知らないものでして。
たしか去年の歌舞伎座での「二人椀久」で出演前後に、脳梗塞で倒れたらしいです。先代伊十郎といい延寿太夫といい松尾太夫といい、伝統芸能で声を出す仕事に従事している人は、どうも脳の病気を患う傾向にありますね。
そうそう五三吉さんも一度倒れて、復帰はしたのですが、以前の調子じゃないそうです。(僕の師匠の談です)
今の方たちは関係ないと思いますが、昔はストレス解消と集中力のため覚醒剤を常用していたとか・・・。
先代の伊十郎の事ですか?伊十郎さんは、ひどいヒロポン中毒だったという話を聞いたことがあります。僕の師匠曰く「昔はお囃子の楽屋に一升瓶に入ったヒロポンが置かれていて、皆それを使っていた」との事です。
古典芸能の世界だけでなく、当時の芸能界もかなり汚染されてましたものね。岡晴夫なんかはステージから袖に引っ込んでくる度に、ヒロポンを打ってたという話を聞いたことがあります。昨年亡くなったミヤコ蝶々もひどい中毒でした。
そういえば先代の伊十郎はお嫌いなのですか?
七世伊十郎ですか。いまだ結論が出ていません(笑)。 ただ言えることは、歌舞伎音楽としては空前絶後の「華」であったと思います。鑑賞用としては、ちょっとばかり色々付きすぎているかなぁ・・・。と言いつつ、ステレオ盤の「島の千歳」とか「蜘蛛の拍子舞」は良く聴いています。
鑑賞用兼日本舞踊のお稽古用の音源ですものね。 素直に鑑賞用としてつくられたら、また違う形になっていたのではないでしょうか?
三味線方によってスタンスを変えるところが見事です。この方もモノラル時代の若いときの方が力みがなくて、京鹿子を聴き比べると良くわかります。「温知会」というグループがありまして(今でもあるかも)これは伊十郎、長十郎、呂船らのメンバーが流派を越えて技術の研鑽を目指したもので、残念ながらぼくは伊十郎時代を聴いていませんが、日本コロムビアへのレコーディングやNHKの収録にメンバーともどもこの成果が生かされています。かなわぬ夢ではありますが伊十郎の70代、80代の唄を聴きたかったです。確かな力量をもった演奏家が年老いて、余計なものを捨てたとき(ある意味テクニックも)見えてくるものがあります。(あっ演説になってしまいそう・・)
そのとおりだと思います。果たしてまだ時分の花の盛りにあった先代伊十郎が、枯れていった時に、どのような真の花を咲かしたのか?それを考えるだけでもわくわくします。
先日の歌右衛門追悼の「道成寺」(五郎治、栄二の長唄でした)を見て思ったのですが、伊十郎と比較すると、芳村五郎治さんはかなり落ちるような気がするのです。何か平板な感が拭えないのですが・・・その点、伊十郎は声は太いですが、艶があるというか、色気があるというか・・・町田さんは、どのようにお感じなりますか?
当然でしょう。立唄の華がありませんものね。でもメリヤスでしたら最高ではないかと。紅葉葉なんか好きです。
五郎治さんは、下座向きの長唄なんでしょうね。僕は池波正太郎が好きでよく読むのですが、エッセイの中で「今の歌舞伎座の長唄は酷すぎる」とよく書かれています。池波さんは今藤長之は好きだったみたいで、よく長之さんのCDを聴いていたようです。それと五代目延寿太夫も好きだったみたいで「先代延寿の「隅田川」を聴いていたら泣いてしまった」なんて件もあります。
歌右衛門追悼番組の「関寺小町」ご覧になられましたか。 とても感動しました。大野一雄の舞踏を彷彿とさせます。「娘道成寺」にはかなり痛々しいものを感じてしまいましたが。
僕は晩年の志寿太夫といい、歌右衛門、仁左衛門の最晩年の舞台に対しては、かなり低く位置付けているのです。渡辺保さんなんかはそのあたりを非常に褒めますが・・・。やはり老醜をさらすならば、潔く引退してもらいたいというのが僕が考えるところです。けれどもあの「関寺小町」は、かっての小町の色気のよすがというものが感じられて、大変結構なものと思います。道成寺もあの足でよく踊りこむなぁというのが率直な感想です。振りだし笠の件は、今あれだけ柔らかく扱える役者は少ないと思います。恐らくあの道成寺が歌右衛門が一人で踊った最後の道成寺ではないでしょうか?志寿太夫で思い出したのですが、当代の延寿太夫の清元は酷い清元ですね。カンの声を裏声を使って誤魔化しますしね。去年の京都の顔見世で「落人」が出たのですが、やはり酷いしろものでした。九代目団十郎は「千両役者はそれに見合った浄瑠璃を使わなければいけない」と言って、常磐津林中をわざわざ盛岡から呼び寄せたという逸話が残っていますが、今の歌舞伎役者はどう考えているのでしょうか。少なくともあの清元を使っているようでは・・・。
今に始まったことではありません。 歌舞伎界のヒエラルキの弊害が露呈しているのです。大事に扱われない分野のレベルダウンを、梨園の人たちは分かっていない・・・。
この問題は、以前チョボの事で話題になりましたが、葵太夫のような優れた後継者が現れたら、その話題は消えてしまいましたね。賛否両論の多い役者に当代の猿之助さんがいますが、彼の評価すべき事例の一つとして、いち早く葵太夫のような若手を登用した事があげられます。門閥以外の役者の登用ばかりが注目されますが、葵太夫をここまで育てた功績というものは、かなり地味な事ですが、なかなか出来ることではありません。
もうひとつ、舞踊音楽として考えた場合、テンポのスロー化問題もありますね。 役者の問題意識次第ですが、たとえば 歌右衛門が細部描写の行き着く果てにスロー化するのは、まぁ分かるとしても、体重オーバーで「ゆっくり」ではお笑いにもなりません。小三郎の自伝にもありますが「舞台でうごめいている・・・」。音楽家側にも、本当ならもっと毅然とした姿勢を期待したいのですが、多分、無理でしょうね。歌舞伎を見に行かなくなった理由がまさにそういうところにあるんです。観客も一部批評家も、そういう部分には無関心な方が多いです。残念なことですが、最初からそういうクオリティの低いものにしか触れていなければ致し方ないことでしょうね。
逸話: 武原はんがリサイタルで「鷺娘」を長唄で舞ったことがあります。 長十郎(今藤)さんに、出来るだけゆっくり演奏して欲しいと依頼したその舞台は
非常な密度感とテンションの持続をアピールしました。 対して1ヶ月後のリサイタルで同じ演奏陣で「鷺娘」を踊る吾妻徳穂は、「なるべく速く」とリクエスト。これも颯爽とした素晴らしい舞台でした。徳穂さんは、はんさんをライバル視していたんですね。
「演劇界」などの劇評を読んでいつも思うのは、役者ばかりに対する劇評ばかりで・・・長唄、清元、常磐津、義太夫、鳴物等にまで触れる劇評は皆無といっても良いのではないでしょうか?かつて宇野信夫さんは、芸の世界の厳しさを知らない人に劇界に関連することに従事して欲しくないという要旨の発言をされていましたが、まったくそのとおりで、現在のようにジャーナリズムも観客もレベルの低いものになってしまいました。本当なら歌舞伎座の舞台で宮田哲男、杵屋五三郎コンビの長唄に朴清、喜三久兄弟の立鼓、太鼓、そして寶山左衛門の笛で富十郎の「船弁慶」とか、勘九郎の「鏡獅子」を観てみたいものです。
宮田さんの舞台もずっとご無沙汰していますが、あの方は立唄の器を持った、現在では希有な存在ですね。
宮田さんや先日、話題になった長之さん、そして五三郎さん等の事を考えると、本当に先代伊十郎は、やっぱり偉大だったなと、伊十郎ファンの僕なんかは思うわけですよ(笑)。当時まだ若手だったこの人たちを録音とはいえ起用したという事は、伊十郎死してもその遺産は次世代の人間によって引き継がれていく。
とここまで言うのは、あまりにも「伊十郎学校」を美化しすぎでしょうか(苦笑)?
長之さんがワキに抜擢されたのは、20代前半ではないでしょうか。素晴らしいことですし、彼もその重責を全うしたと思います。「蓬来」や「橋弁慶」など今聴いても、魅力的ですね。
長之さんが去年、倒れた事は報告済みですが、本人は復帰を希望しているそうですが、車椅子生活必至だそうです。
昨晩、NHK教育の守田勘弥、ご覧になられました? 昭和40年代の舞台をいくつか放映していましたが、ちょうど、ぼくが舞台を頻繁に見ていた時期なのです。
当時はごく真っ当な仕事と思っていた演技がいま拝見すると本当に貴重な得難い役者であったのだと感じ入りました。テンポの良さ、軽さ、決めるときはばっしっと決めるけど、自然な力まない立ち振る舞い・・などなど、今は無いですねぇ。
羨ましいですね。国立の加古川本蔵家のドラマを中心にした「仮名手本忠臣蔵」は御覧になりましたか?勘弥の由良之助に河豚の三津五郎(八代目)の本蔵、歌右衛門の戸無瀬の配役で、九段目に珍しく「雪転し」をつけた演出だったと思いますが・・・。文楽では必ず上演されますが、あの場が付くと七段目の華やかな雰囲気が続いて、由良之助の役がよくなるような気がします。
僕は生を見ていないので、何とも言い難いのですが、独特の味を持ってますね。ただ弁天小僧は十五代目羽左衛門のレーコードのイーメジが強すぎて少々がっかりしました。親戚にあたる八代目三津五郎が駄右衛門で付き合っていたのが、印象的でした。
それに引き替え、玉三郎のあどけないと言うべきか拙い振る舞いが目に付いてしまいましたが。
なかなか鋭い指摘ですね(笑)。僕はいまいち玉三郎が好きになれないのです。「鷺娘」の「傘をや」の傘の扱い方が・・・ブーンという音が客席にまで聞こえてきそうな勢いで、振りますものね。男まるだしって感じですね。もう少し丁寧に扱ってほしい気がします。
50になった今も「私は綺麗でしょう」っていう主張が出すぎて、役よりも玉三郎の方が強く表に出てしまっている気がします。
歌舞伎を見始めたころ、ちょうど彼が脚光を浴び始めた時期なんです。当時は、いい女形が出たもんだと思ってましたが・・・はっきり言えば、踊りは下手です。紙人形?
そういえば、以前は演奏も立方も人間国宝ばかりが出演する国家指定無形重要文化財保持者鑑賞会でしたっけ?そんな公演が歌舞伎座などでよく上演されていた気がしますが、町田さんは御覧になったことはおありですか?
最近こうした催しが少なくなってしまって、残念です。 とはいえ今の常磐津文字兵衛さんのように人間国宝と言えども「関之扉」の上を譜面を見ながら弾く人もいますが・・・。最近、長唄の三味線も譜面を見て弾く人が多いですね。杵屋禄宣さんってご存知ですか?故・杵屋勝禄さんの御子息なんですが、大曲となると譜面見ながらお三味線を弾くのです。春秋会での「茨木」、名古屋をどりの「大望月」でもそうでした。嘆かわしいことです。
NHKホールや国立で行われた国家指定芸能鑑賞会はかなり見ていますがああいう大ホールですから、どうも・・・。杵屋勝禄さんの三味線はとても好きでした。というか巨匠というべきですね。透明感と気品が素晴らしい!猿之助の「黒塚」もやってらした。
「全集・日本吹込み事始」(東芝EMI)を今日、入手いたしました。早速、聴いているのですが、凄いの一言につきます。まず最初に聴いたのは、かねてから小耳にはさんでいた常磐津林中です。林中の中でも感激したのは、「三人生酔」、「乗合船」です。人物の語り分けがしっかりとしていて、絶妙です。そして端物ですが、六代目芳村伊十郎の「勧進帳」。実に豪放な声質ですね。「道成寺」の端物もあるのですが、こちらはちょっと頂けませんでした。やはり芸風に合わないのでしょうか?三味線の音は聴きづらいのですが、十三代目杵屋六左衛門と杵屋浅吉時代の四代目杵屋佐吉です。道成寺の「チンチリレン」から「スガガキ」、最後は「ぎっちょ」となる三味線だけのものがあるのですが、若干、早回しかなという気もするのですが、これも凄いです。演奏者はこちらも杵屋六左衛門と杵屋浅吉です。あと九代目団十郎の声色?これを聞いて思ったのは、十五代目羽左衛門の調子は九代目団十郎と似たものだったという話があり、今まで半信半疑でいたのですが、この録音を聞いて納得しました。たしかに似た調子です。それに声色といいなが地の声の快楽亭ブラック。物凄く流暢な日本語で驚きです。あの名人橘家円喬の録音もあります。それと雅楽の録音もあるのですが、ラッパ吹込みでよくこれだけクリアーな音が収録できたものだと感心しています。
実は、ヤフーオークションに「吉住小三郎全集」(10枚組)が出品されているのですが、出品者はSPレコ ードとしているのですが、どうもLPのような気がするのですが、町田さんはどのように思われますか?
価格が価格なので購入しようと思っていますが・・・。激安価格です(苦笑)。
あれこそが、全盛期のSP録音をLP10枚にまとめたものです。あの値付けはなんでしょうね?価値をぜんぜん知らないんだ・・・。
「吉住小三郎全集」無事落札しました。結局、競争相手も現れず、最低価格の2000円で落札しました。出品者に悪いような気もするのですが・・・。少し胸が痛みます(笑)。
しかし実はかなり大きな問題が控えているのです。町田様はお気づきでしょうか?そうです肝心のレコードプレーヤーがないのです(爆笑)。
最近、伊十郎全集の「吉原雀」にハマっています。改めて思うのは、山田抄太郎のお三味線は凄いなあと思います。スガガキも廓の情緒たっぷりで、本当に感動します。町田さんがご存知の音源で、山田抄太郎の真髄がわかる音源は何かありますか?
やはり、伊十郎とのものしか知りません。 「綱館」でしょうか。高揚感がいいです。でも老女の舞いの部分は??バリバリ系元気系なのでね。でも「老松」の琴の合方などは絶品ですね。とにかく良く鳴る三味線です。人によってはボンボン三味線とか言う・・・。
そんな評価もあるのですねぇ。初めて知りました。曲舞の件は、ご指摘どおり、やや派手すぎる感が拭えませんが、道行の件は何とも言えませんね。いかにも老女が綱を訪ねて一人でとぼとぼと歩いてきたように感じられます。なかなか素の演奏ではこうした事までも表現する事は、難しい事ですが、昔の名人と称される人は、ちゃんと曲の雰囲気というものを大事にして演奏していますね。
今のプロの人間がそこまで気を配っているかどうかは知りませんが・・・。
クラシック(音楽)の演奏を評価する基準として・・・原典から勘案する場合と、さまざまな演奏の比較で考える場合があると思います。日本の古典音楽は口伝というか師匠の演奏を自分自身にたたき込むことでしょうから、師匠のありようそのものが原典といえるかも知れません。譜面があったとしても、それは覚え書き程度のものでしかありませんよね。流派とか家元制度なんかは、そのような伝承形態と一体のものですね。
西洋音楽ですと、これはもう作曲者の譜面を子細に検討することであって、有名ピアニストが「コルトーが大好きでレコード擦り切れるまで聴きました」なんてことは大抵は言わないのです。本当はそうだったりしても(笑)。
話を長唄に戻すと、国光会とか温知会とかのような流派横断的グループってある意味、曲の成り立ちいうか原典を探る行為であったような気がします。現在の邦楽演奏家たちがどのくらい意識を持って古典曲にアプローチしているのか・・そのための技術なりを磨いているか?なんですが、どうも技術段階で行き止まっているような気がします。山田抄太郎の「綱館」の道行きは、それは凄いものだと思いますよ。本当の老女じゃありませんし(笑)、後半の♪面色変わり〜を意識下にフラッシュバックさせて全体像をまとめているのかとさえ思わせます。
いづれにしても、栄蔵さんや栄二さんよりも山田抄太郎、今藤長十郎の三味線の音色の方が好きです。「椀久」なんかも本当に凄いですよね。先々代呂船さんの鼓も溜息が
出るくらい鮮やか。亡くなった田中伝左衛門さんは、藤舎呂船は音楽的に無茶苦茶にしてしまったという発言をしてましたが・・・
。
そんな、評価もあるのですか(笑)。どこが無茶苦茶なんでしょうか?ぼくには解りかねます。ちなみに伊十郎との「島の千歳」もお奨めです。
つまり伝左衛門さんは、従来からある手を変え過ぎという事を言いたかったのでしょう。伝左衛門の言いたい所も分りますが、やはり古典音楽だからといって、昔のまま伝えるという事ではいけないと思います。それこそ生きた音楽ではなく、博物館入りしてしまう(笑)。
鳴り物は波多野さんのほうがお詳しいので、意見は控えようかと思いますが楽曲の成り立ちからすると、即興的に決まってきた部分が多いように感じます。まぁ、伝統物はどこまでを守るかという問題、難しいですね。
ちなみに伊十郎の「綱館」はモノラル時代に長十郎とやったものが凄いです。思うにステレオ時代の伊十郎は声帯にかなり無理がきてます。
これはやはりSPなのですか? 僕も時折それは感じます。ステレオ時代は声が荒れている音源も多いのではないでしょうか?モノラル時代の「越後獅子」とか「娘道成寺」は声に透明感がある気がします。以前、お話したようなヒロポンの常用からくる弊害なのでしょうか?
七世伊十郎のSP吹き込み時代のものを系統的に聴いてみたいと思っていますが・・・・。 いま発売中の伊十郎全集(CD)のなかの最後のほうの番号はSP原盤やモノラル時代のものが混じってますね。
山田抄太郎との「越後獅子」もそうですね。SP時代の伊十郎は声に透明感がありますね。以前、町田さんのご指摘のあった「道成寺」なんかを聴いてもそう思います。
杵屋栄次郎さんは如何ですか。個人的には長唄三味線の理想的な音色と間合い(息)を持っていたと思います。生音と較べると、五郎治さんとの東芝盤よりコロムビアの伊十郎盤が本物に近いです。
栄次郎さんも好きです。というか、栄次郎さんの評価はあまり高くありませんよね。栄蔵さんとか栄二さんは評価されていますが・・・。忘れ去られた名人的存在なのでしょうか?「綱館」と同じCDに「菖蒲浴衣」が納められているのですがこの栄次郎さんの三味線もなかなか名演だと僕は思うのですが・・・。大川(隅田川)の雰囲気が良く出ているなあと思います。栄次郎さんの名演といえるものは、どのようなものがあるでしょうか?
栄次郎さんの三味線が聴けるディスクとしては、伊十郎のステレオ時代と東芝の五郎治のものですが、東芝盤は録音に難点があるのと、五郎治さんの音域が低いために、栄次郎の艶やかな音色を表現しきれないという問題があります。伊十郎から較べると3本程度低い感じですね。
で、推薦盤として以下のものを挙げます。
伊十郎盤 ・寒行雪の姿見 ・英執着獅子 ・石橋 ・楠公
五郎治盤 ・三曲糸の調
レコーディングの量でいえば栄次郎さんは他を圧倒しています。東芝の五郎治さんのは殆どそうですし(多分100番以上あると思います)伊十郎のステレオ盤も約半数ちかくにのぼるのですから。不思議なのは、NHKの邦楽番組には、ほとんどといっていいくらい登場していません。こちらは栄二さんの独占じょうたい(笑)。あの世界のヒエラルキーは想像がつかない部分があります。
この五郎治さんに関するご指摘はさすがだと思います。五郎治さんは声が低いのですよね。けど声が細いので、美声のように聴こえてしまう「五郎治マジック」?
それと専門的な事は判らないのですが、五郎治さんの全集は録音の方法にも問題があるのでしょうか?以前、少し聴いた事があるのですが、なにか異質なものを感じたので・・・。
細棹三味線の音色は4〜6本程度で最大限に発揮されると思います。こう言うとなんですが、女流長唄にも厳しいものがありますね。東芝の録音は、そういう部分を差し引いても三味線の音が全く解っていないです。おいしい部分を全部逃している(笑)。
栄次郎さんは人間国宝の指定は受けたのでか?今、松島寿三郎さんがその指定を受けているのですが、僕はどうも納得できません。五三郎さんは納得できるのですが・・・。栄二さんのNHKの問題しかり、寿三郎さんの問題しかり、政治力というのがどの世界でも様々な力を及ぼしているのですね。
栄次郎さんは受けなかったと記憶しています。どうも選考委員がピックアップするのではなく、組織とか流派の推薦から始まるようです。選考委員も判る人がいない?あんなものは必要ありません。
勝禄さんなどは、大変な名人であると思いますが、レコーディングには恵まれませんでした。記録に残らないものはある意味、語り継ぐということも大事かと。
勝禄さんは関西を中心にされていたので、そういう結果になってしまったのでしょうか?義太夫を除いては、関西は関東よりも格がさがるみたいな風潮がありますものね。僕が知っている音源(というよりも映像ですが)は最晩年のものですが、五年ほど前の歌舞伎座で収録した「黒塚」がありますが、やはり全盛期のものよりは劣るのでしょうか?
今になって改めて考えると、昭和の五十年代は長唄界は暗黒の時代であったといっても過言ではないのでしょうか?戦後の長唄界を支えた名人達が、次々鬼籍に入り、次の世代、五郎治さんに代表されるように、あまり上手いとはいえない人が台頭した時代と言ったら言い過ぎでしょうか?
どうも過去の歌舞伎座の映像を見るたびに、五郎治、栄二、伝左衛門社中の演奏って感心しないものばかりで。
五郎治さんのレコードで良いとおもえるのも若干はあります。伊十郎さんのレコーディングからもれている曲も結構ありますから、まったく聴かないわけではありません。ただ、思うのはあの方の強靱な体力です(笑)。歌舞伎の本公演の立てを続けて、体力気力が持たなかった例は数え切れません。
その通りですね。僕の師匠曰く、長之さんが倒れたのも歌舞伎の本公演のタテ唄を続けて、年も考えずに働き過ぎた結果じゃないかと言っていました。
昔、至近距離で松島庄三郎、栄次郎のコンビによる二人椀久を聞きましたが、忘れがたい名演でした。
これは僕の印象なのですが、どうも庄三郎さんは美声は勿論、美声なのですが、太さにかけてはやや物足りない感が拭えません。
伊十郎のワキを勤めていたときは、素晴らしいものがありました。 娘道成寺の「末はこうぢゃにな〜」とか橋弁慶の「夕べ程なく暮れ方の〜」あたりワキとして絶品ではないでしょうか。また官女の「如何に身過ぎじゃとても〜」はかなり低い音域がありますが、十分な太さと浸透力があります。立唄になって、オーバーワークもあるのでしょうが潰れてしまいました。でも個人的には上記のような思い入れがあるもので・・・・。
鶴澤清治さんのお三味線にはどのような感想をお持ちでしょうか?どうも大声を出すしか能の無い豊竹十九大夫の相三味線を弾くようになってから、一時期の鋭さが無くなったような気がするのですが。僕の師匠とこの話をした時「下手な人と組むと知らず知らずの内に芸が荒むんじゃない」と言われ、なるほどと僕も納得していたのですが。
義太夫のお三味線についていろいろお伺いしたいこともあるのですが・・・。
義太夫にご関心をもたれているのは嬉しい限りです。 清治さんの芸は先年亡くなられた呂太夫さんとのコンビで30年近くまえに衝撃を受けました。 越路太夫の合方の喜左衛門が亡くなって、あのポジションに赴き呂太夫さんの相方は清介さんに、という訳です。
記憶があいまいですが、その後、清治さんって織大夫時代の現・綱大夫とか咲大夫の相三味線も勤めてますよね。
たしかに若いときの鮮烈な芸ではなくなっていますが、まだ判りません。義太夫三味線のピークは70歳代ですから(笑)。
ただご指摘はもっともなのですが、何か芸の成長が止まってしまったかのような気がするのです。 昨年の8月の文楽劇場で呂大夫さんの最後の舞台を聴きました。何か首をかしげてしまうような演奏で、不思議に思っていたのですが、すでにあの時、もう体調が優れなかったのですね。というよりも近年は肝臓を悪くされていて、完全な体調で舞台に臨むことは、僅かしかなかったそうです。確かによく休演されていました。けど僅かな望みとして、お弟子さんの呂勢大夫さんが、なかなか見込みのありそうな大夫さんで、よい後進を残されたなあーと思っていますが、まだこれから咲大夫さんと一緒に義太夫を引っ張っていくべき人だった
だけに本当に残念です。最近、蓑助さんの脳梗塞、緑大夫(津大夫子息)、相生大夫、呂大夫、鶴澤八介、吉田文昇と相次ぐ物故者は文楽の将来を暗くさせます。
越路さん以降、現在の大夫の最高峰である住大夫さんも若い錦糸さんを抜擢し、良い傾向にありますが、かってのように大団平が大隅大夫を、三代目清六が古靭を、四代目清六が春子大夫を、喜左衛門が越路を、寛治が津大夫を育てたような傾向は、なくなりそうですね。
今、ふと気が付いたのですが、町田さんのご指摘から考えれば、弥七さんは綱大夫という最愛の大夫とコンビを組むことが出来、かつ若い時代からあれだけの評価を受けたということは、本当に凄い名人だったのですね。
安藤鶴夫作の新作義太夫に「芸阿保」というものがありますが、これで芸術祭賞を獲った弥七さんがあのような悲しい最後を迎えるとは・・・弥七さんも芸阿保だったのですね。
よく勉強なさっていますねぇ。重ねて驚嘆します。ぼくより詳しいじゃないですか。 長唄も三味線方が唄方を育てるのですが、最近はどうかなぁ。例えば、長之さん尚之さんは、綾子さんの存在なしにはありえませんしね。
そういえば、七代目幸四郎追善公演で上演された北条秀司作の「鬼の少将夜長話」は作曲が今藤長十郎、野澤喜左衛門で素晴らしい曲だったそうですが、町田さんはお聴きになったことはおありですか?本来は今藤さん一人で作曲の予定が、長唄のお浚い会が延びに延びて、打ち合わせの時間に遅れたために、北条さんが激怒して、喜左衛門さんに作曲を依頼したんですが、結局二人で作曲することで落着いたそうです。
これも、聴いてはいません。まったくの偏見で、お気に障ったら謝りますが、どうも、長唄の新作って「新曲浦島」以降、食指が動きにくいのです。聴いていないジャンルですから、どうこう言わないようにしています(笑)。創作邦楽の流れを今度レクチャーしてください。
いや僕も創作邦楽は嫌いなのですよ。だから杵屋正邦さんなんか、あそこまで評価する必要はあるのかなと思ったりするわけですよ。ただ先日もお話しましたように、宮川寿朗(清元栄寿郎)、野澤喜左衛門、今藤長十郎が新作舞踊のために作曲した曲の多くは、素で聴くものとしては物足らないものがあるかもしれませんが、古典の手法を応用したもので、なおかつオリジナルティーが出ているように感じています。
今の呂船さんは、鼓の名手である事は間違いないのですが、どうも作調の能力は先々代呂船さんに劣るものがあると思います。何か違和感の残る耳障りな作調が多いです。7月の末の土曜日にNHKBSで放送される「日本振袖始」を御覧になれば、よくわかると思いますが・・・。
安達ヶ原の伝承をもとにして「安達ヶ原」と「黒塚」が作られたわけですが、どちらがお好きですか?僕は「安達」も良い曲である事は承知しているのですが、
詞章が謡曲そのままで、どうも好きになれないのです。むしろ「黒塚」には長唄独自のオリジナリティーが詞章だけでなく四代目杵屋佐吉の作曲に見られるので「黒塚」の方が好きなのですが・・・。
けど「黒塚」は純粋に長唄として作られていませんが。 そういえば、レコードの伊十郎全集には増補として売出された曲の中に「安達ヶ原」があったはずですが、CDにはなっていませんよね。そこの詳しい事情は町田さんはご存知ですか?
長唄の「黒塚」は猿之助さんの公演で一度観た(聴いた)だけです。すみません。 「安達ヶ原」はご指摘の伊十郎盤(これはNHKの放送音源をディスク化したもので、CD化されない事情もその辺にあると思います)とか杵六派の音源等もありますが、演奏の優劣より、楽曲構造の単調さといったことに目がいってしまいます。船弁慶もそうだといったら言い過ぎでしょうか?
ちなみにこの追補盤ではほかに「大望月」もあります。
ご指摘のとおりだと思います。杵勝派では大変重要な曲なのですが、どうも好きになれません。前にも言ったと思いますが、本行(謡曲)から抜け出せていないように思います。「黒塚」はそれに比べて、長唄独自の部分もありますし、佐吉さんの作曲も上手いものだと思います。
けれど「安達」に比べたら、まだ「船弁慶」はましかなと思います。「安達」より演奏される機会は多いですしね。
ですね。しかし下手な船弁慶ほど聴いて疲れるものもありませんね(笑)。
なかなか厳しいご指摘で(笑)。僕は太鼓打ちなので、一度やった事があるのですが、師匠に言われた事は、「まだ知盛じゃないよ!静だよ。」とか「知盛になったからといってスピード違反するな!」です。いつも師匠に言われるのですが、曲の雰囲気を出すということは、大変難しい事ですねえ(苦笑)。 下手な人が船弁慶を演奏すると曲が単調になって、本行ものだけに上手な人だとサラサラと運ぶ部分も、おかしな運びになって、聴く方が疲れるのでしょうね。
まったく仰るとおりですね。 我が師匠の政太郎氏は本行ものは謡曲のアンチテーゼとしてあるのだ、なんて その昔、言っておられましたが。
「大望月」も放送音源なのですか?最近のNHKではそんな事はないのですが、昔のNHKの放送音源はかなり悪い録音のような気がするのですが?町田さんはこのあたりの事について、ホームページで予告されていましたが、以前のNHKは放送用の録音技術に対していいかげんだったのですか。
この追補盤は日本コロムビアが整音(リマスタリング)しているのでしょう。かなりいい感じに仕上がっています。特に「蜘蛛の拍子舞」は近代長唄録音の白眉と言えます。
NHKの録音技術に触れると長くなりますので、簡単に・・。経験的な蓄積、機材、どれをとっても日本最高なのです。ただ、スタッフのマインドというか資質の問題なのだと思います。邦楽班というセクションは企画サイドであって、エンジニアはなんのジャンルでもやる人たちです。ディレクターなりが確固とした信念を持っていればいいのですが・・・。
なるほど。それは現在のNHKの番組編成を見てもわかりますね。
正月の邦楽特番で松坂慶子の舞を見せられた日にゃ、そりゃ堪りませんよ。 あんな醜悪なものを、何処の段階でも止められない組織って・・・
あいかわらず、手厳しい(笑)。けどあれは痛かったですね。地唄舞や大和楽はかなりの力量が無いと踊れないですね。下手な人が踊ると間が持ちません。松坂慶子の「黒髪」は、まあフジテレビの隠し芸に対抗したものと考えれば良いのではないでしょうか?橘芳慧が振付けた大振袖の意味の無い群舞も痛かったです。今は亡き尾上松緑が、踊りの振りには一つ一つ意味があるんだという発言をしていましたが、あの踊りの振りには何も意味も無く、かつあの踊りをとおして何が言いたいのかさっぱり解りませんでした。隠し芸なら山田五十鈴の小唄で止めて欲しかったですね。「たぬき」は映像でしか見たことありませんが、山田さんの三味線の腕は鮮やかの一言に尽きますね。それと女優で踊りが一番上手なのは、藤村志保さんでしょう。花柳の名取りで、武原はんさんの高弟ですし。国立劇場で舞踊のリサイタルを催した事もありますね。
(目撃情報) 師匠の鞄持ちでFM収録に立ち会ったときのことです。
和歌山富十郎、稀音家三郎助、長十郎の娘道成寺でしたが、プレイバックを聴いて 長十郎さんが後半やり直しを示唆したとき、マスターテープを廻していた
若いエンジニア氏、時計を見ながら「舌打ち」、聞き逃せない一瞬。 モニタースピーカから流れる再生音も、当然ながら心のない冷たい音。
(内部情報)研修を終えて邦楽班に配属が決まると、若い人の多くは失望するそうで。
これは明らかに戦後の音楽教育が間違っていたことを証明する事実だと思います。戦前はまだ小さな町でもどこからか三味線の音色が聴こえたものですが、敗戦による文化的ショックから邦楽は排除の対象に。結果、聴く側に耳の肥えた人が減少、これに比例して優れた演奏者が減少。戦後50年かけて減らした邦楽愛好者が、教育に持ち込んだからといって増えるのでしょうか!文部省の馬鹿役人には、目先の事しか見えていない!NHKの貴重音源で思いだしたのですが、「妹背山」の山の段の音源がNHKにはかなりあるのですが、その中に垂涎の音源が。背山が綱大夫、弥七。妹山が山城少掾、藤蔵という豪華メンバーです。渡辺保の『昭和の名人・豊竹山城少掾』でその存在を知ったのですが、本当に聴いてみたいものです。
これは、録音として残されているのですか?凄いものですねぇ。
残っているはずです。渡辺保はNHKの知り合いに個人的にダビングしてもらったと書いていましたから。あとNHKにあるかどうか分らないのですが、十五代目羽左衛門の「実盛物語」の物語の部分が残っているのではないという事を以前聴いた事があります。ご存知かもしれませんが、羽左衛門という人は、彼女とのデート費用を稼ぐために、他の役者と比べて圧倒的な数の音源を残しています。その多くは、羽左衛門の当り役なのですが、なぜか羽左衛門の得意とするノリ地を聴かせる「実盛物語」のみが、音源として残っていないのです。 古老の話では、NHKで放送された記憶があるというのです。ですから、もしかしたら幻の「実盛物語」がNHKに残っているかもしれないのです。
町田さんお勧めの「蜘蛛の拍子舞」早速、購入してまいりました。今、聴いています。確かにこれは物凄い 音源ですね。演奏陣も超豪華メンバーですし。
ご指摘のとおり、大編成の演奏陣ですが、「拍子舞」は顔見世舞踊ですし、曲の雰囲気から考えれば、華やかで良いと思います。けど「大望月」でこのメンバーは、たしかに
考えものです。「拍子舞」とはまた曲の雰囲気ですし。
ただこの音源に問題があるとすれば、放送用の音源として作られたためか、大小でタマの終わりでスタスタスタと囃す件など微妙に短いのでは?と思いました。特にタマの終わりはお三味線が調子を変えないといけないので、長めにやりなさいと師匠に言われたのですが…。
それと本来ならあるべき「打ちおさまりし」の歌詞を抜いて直ぐに太鼓地となってしまうのが残念に思いました。
五郎治、栄次郎盤は、入っていたような。長唄は言ってみれば「モジュールミュージック」なので(苦笑)。スタジオレコーディングでは、調子が変わるところでテープつなぎ(編集)をしているケースが多いです。それはいいとしても、間で食事なんかしちゃうとプロといえども、ノリが微妙に変わってしまったり・・・例の伊十郎、長十郎の名演「二人椀久」のタマなんて何カ所かでハサミが入っているのが聴いていてわかります。
そうなんですか?僕には全く分りません。
三の糸が急に新しくなってたり・・・
こうした所はなかなか難しい問題ですね。かといって一気に何時間も集中して録音することもまた難しいですし。「円生百席」なんかはスタジオ録音だからといって拒否する人がいますものね。落語はライブじゃないとという意見をよく聞きますが、長唄などでも果してそれが通用するかといえば疑問が残ります。
今朝、出がけに「大望月」全曲を聴いていました。 自営が「みそか」にこんなことしてていいのだろうか?大抵、演奏者の状態と録音のクオリティから録音年代は予測がつきますが、これは実に判らないのです(笑)。立てが五三助さんなのに、モノラル録音でクオリティは悪い。拍子舞や安達は、NHK放送ライブラリィからと明記されていますがこれには、そのようなクレジットがありません。今出ているCDがどのような表記なのか興味ありますが。
メンバーは伊十郎、三郎助、庄三郎、宮田、義丸に五三助、五三雄、三十朗その他となっていて鳴り物陣は明記なし。コロムビアのスタジオ録音ではなく、AM用の放送音源と思われますが、詳しいことは不明です。
この大人数の演奏陣では、舞踊会用の演奏?という気がします。
その線は大いにあるでしょうね。演奏は改めて聴いて、素晴らしいもので感動をおぼえました。まずユニットの一体感がありますし、五三助さんの三味線は彼の最高水準であろうと思われます。もしかすると伊十郎との最初期の立三味線なのではと思わせる、気迫が伝わってきます。ときどき感じる「単調に流れる癖」が全くありません。また稀音家三郎助の唄が聴けるレコードは、ほとんどないという意味からも貴重ですね。まぁ欲いえばこんな大編成でないほうが、物語性は出るのですが・・・。鳴り物は(実をいうと)音だけ聴いて、演奏者を言い当てる自信がありません。これは波多野さんにお任せですね。
いや僕も自信がありません。まあ呂船さんではないでしょうか?望月だったら吉三郎さんか。「拍子舞」も多分ここは呂船さんの鼓で、ここは脇だなーと考えながら聴いています。お囃子は音と掛声等から判断するのですが、中々難しい作業です(苦笑)。
三代目の栄蔵さんが他の三味線弾きに比べ、格段に上手いという意見があったのですが、町田さんは三代目杵屋栄蔵をどのように捉えられていますか?僕は前も言いましたが、いまいち好きになれません。確かに名人・六代目伊十郎の相三味線でしたが…。
残念ながら栄蔵さんの生を聴いたことがありませんので(注)レコードからの判断ですが、大劇場における水平放射能力のようなものは圧倒的だったのではないでしょうか?(次元がちょっとズレますが松永和楓って人も、そうゆう感じでしょうか)多分、楽器の音量感などは他の人と隔絶したものがあったのでしょうね。六代目伊十郎との演奏を聴けば判りますが大薩摩の豪快さ奔放さなど、空前絶後というかあれが本来の姿なんでしょう。後年のステレオ盤の勧進帳はスカ撥が多いですけど。
(注)信じて頂けないのは承知ですが、実はこのレコードを手に入れるずっと以前に夢の中で、目の前で聴いた大薩摩がこの演奏に実によく似ていました。
いえいえ信じます(笑)。僕も夢の中で円生が出てきて、目の前で「落語に見る江戸」という題で講演してくれましたし。そういえば栄蔵前後の三味線の名人について田中涼月の聞き書きに次のような件があります。――「若くして死んだという事では勘五郎さんもそうでした(中略)とにかく大変な三味線の名手で、いま生きておりましたら、浄観さんより上でございましょうね。」――
日本音曲全集を編纂した中内蝶二にも同様の発言がありました。前にも言いましたが、この勘五郎と寒玉、伊十郎、延寿、梅吉で吹き込んだコロムビヤの「喜撰」を聴きたいもので・・・。四代目松永和楓も今、復刻されている音源を初めて聴いた時、どこが美声なの?と思いました。むしろ慈恭さんの声の方が僕の耳にはなじみました。生和楓を聴いたことがある人を知っているので、機会があったら一度、栄蔵についても聞きたいと思います。
以下続くかも(笑)。 |