全体と部分、あるいは機械と人間・・・
ある対象物を認知するとき、人間はどのようなプロセスでそれを得るのか。全体から入るのか、あるいは部分情報の蓄積で全体を知るのか・・・。コンピュータ的なアプローチをすれば「瞬時に全体を知り得る」という可能性は無いように思える。デジタルカメラを例にとると、この受光素子群はシャッターの隙間から光の世界を一瞬に知る。ただその現象は「感じた」というだけであって情報として長らえるためには記録というプロセスが必要。それぞれの素子の所番地に従ったデータ書き込みがそれにあたる。人間はどうかというと網膜の視神経はデジカメの受光素子と非常に似ているけれど、高度なインテリジェント機能を備えているため、重要と思われる情報から逐次、脳に送られるのではないか。注意すべきは「重要と思われる」という判断の根拠で、これはあらかじめ全体像が入力されるからに他ならない。ごく粗い全体像をまず得ることで次に必要な部分情報を収集し、この得られた部分情報から全体像の補正作業があって、さらに部分情報を得るというプロセスを瞬時に繰り返しているように思える。この「粗い全体像」は大いに曲者であって、人間には記憶と呼ばれるデータベースが備わっていて、一種の「先入観」が次に収集すべき部分情報を有為的に選択するケースは多々あるだろう。最終的に得られる対象物の情報は、個人個人でさまざまな変容をとげている。偏見や先入観はこれが原因で、別の見方をすれば想像力や洞察力の源でもあるというわけだ。 2002.01.05 machinist

●光とはなにか、色とはなにか?  ●デジタル記録とアナログ復元を考える  ●A/D変換におけるプレフィルタの役割を考える  ●TOP INDEX >>>