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550 シンプルな器、抽象の先の実存 II | ![]() | 持参した唯一のディスクはムジカ・アンティクヮ・ケルンの「音楽の捧げもの / フーガの技法」である。フーガの技法から「contrapunctus12、13」を聴き、チェンバロの毅然として静謐な響きを確かめながら、ぼくのこころは「contrapunctus14」を掛けてもらうべきか否かで迷っていた。彼らの演奏するこの未完の4重フーガは類い希な美しさと厳しさを兼ね備えた至高の音楽である。山口氏がこれをどう鳴らすのかに非常な興味があった。わが家では持ち込まれたディスクが巧く鳴った試しがないので(笑)やや躊躇いもあったが、音楽の一期一会を確信し、そしてそれは現実になった。 ここで奏でられた演奏は、各楽器の小宇宙がさまざまな葛藤とともに絡み合い昇華しながら、壮大な大宇宙を構築する様を、俯瞰で眺めるのではなく、現場に入り込んで目の当たりにするという希有な体験になった。霧のような不定形のフォルムが瞬間変位し質量と伴った音素が発生し、さらにそれらが連携して音楽として成立する場に立ち会ったと言いかえてもいい。オーネット・コールマンの一時期の白熱と同質のものを、オリジナル楽器を用いるドイツ気鋭の演奏家集団から感じるとは思ってもいなかった。 ・ フロントエンドのLINN CD-12を除けば、もはやヴィンテージに分類されるコンポーネントで構成された氏のシステム。これらが具現するサウンドは豊穣のボディとディープな色彩を備えているが、表現する世界には古さの微塵もない。過去の演奏を現在の時空に引きずり出すさまは極めて鋭利であり、その音は表層ではなく内部にフォーカスされ、音の在りかを存分に示している。ここに至るまでの膨大なチューニングが想像を絶するものであろうことは理解できるが、いま聴こえている揺るぎないサウンドからは困難辛苦の片鱗さえ窺えない。在るのはLINNでもJBLでもない、ひとりのアーティストの芸術観に対峙し受けとめるシンプルな「器」そのものだった。 当日の演奏リスト ・ホセ・メルセ「カンテ・フラメンコ・ベイシコ」RCA ・マイテ・マルティン「ケレンシア」 VIRGIN ・デュケンデ「サマルーコ」PLYDOR ・ムジカ・アンティクヮ・ケルン「音楽の捧げもの / フーガの技法」ARCHIV (写真は日没後のほの暗いリスニングルームを無灯火のままで撮影した。ISO3200 / F2,8 / 0.8sec !!) |
EOS-1Ds MarkII EF16-35mm 2005/10/31 |