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2010/04/19
1225 浦和にて b




2010/04/19
1224 浦和にて a

No.1224-1227 RICOH GX100 / ISO:80



2010/04/13
1223 ご案内

幻聴日記のタイトル下に当方の関連サイトのリンクを入れました。それに伴ってというわけではありませんが、BBSを復活させます。気軽に書き込んでいただければ嬉しいです。

で、写真。E L A C は A L T E C の一部であるという証明。なーんてね(^_^)



2010/04/08
1222 クラウディオ・アラウ J.S.BACH / Partitas No.5 Sarabande

クラウディオ・アラウが最晩年に録音したバッハのパルティータ。
ソリストの表現として最高レベルの境地と思う。
3番のファンタジアを繰り返し聴いているが、
下記の布陣で聴く5番「サラバンド」の言いようのない寂寥感はなんだろう。
アラウのピアノに暗さはない。
しかし、その演奏を通して見えてくるのは、
煉獄のグレイの闇に歩を進める孤高の人間の後ろ姿だ。
音の集積のなかに潜んでいるさまざまな想い。

・・・やはりオーディオはやめられない。

AC DESIGN WTC-1/III という10年ちかく経過したインターコネクトケーブル。SACDの器に対処すべく導入した。しかし、グランドピアノの響きをこれほど克明に描くとは! 緩やかなほぐれ具合とウオームで仄かな色彩感を備えながら、音楽の起伏を完璧にトレースする追随性。しかも最新の高解像ケーブルのような過度な緊張感がないのが嬉しい。すぐ下で、単体コンポーネントの評価は無意味なんて言っておきながら、まことに申し訳ない今日の日記。



2010/04/05
1221 オーディオ評論というもの。SACDのことなど。

「もうオーディオ評論なんていらないだろ。」という意見を聞くことが多い。
オーディオ評論に値するような記述はここのところさっぱりだから、そりゃ解らないでもないけれど・・・ ないからいらないと言うのは後ろ向きであるし建設的ではないと、わたくしは思うのだ。

では、オーディオ評論とは何か?

端的にいえば、「機械を介在させた音楽体験の質を語り、評価すること。」これに尽きると思っている。コトバにすると簡単だが、いやぁ大変な仕事・・・

お買い物ガイドとして公平に機能すればそれでいいという考え方もある。

いま書店にあるSTEREO SOUND誌の特集「いい音を身近に」。製品ガイドとしては非常にわかりやすい。公平かどうかは知らんが。柳沢さんの巻頭言4ページは柔らかい語り口のなかに、オーディオ趣味のあり方を論じていて、製品ガイドの前書きとしては、格好の読み物に仕上がっていると思う。

音の世界は抽象度が高いので、なにかを深く語ろうとするとつい難解になる。そのあたりで、戯れ言、偽ポエムと断じられることも多々。
ただ、それらの難癖はオーディオを機械だけで論じる視点がそうさせるわけで、オーディオにとって、機械は中核にあるけれど、それが主役ではないということをあえて言いたい。音楽そのものと聴き手の感性に宿るのは言うまでもないこと。

とくに単体コンポーネントの評価、ほとんど無意味って思いません? △△△ってアンプはどうたらこうたら、□□□コンデンサは・・・ こういうのは、いっさい信用しておりませんので(笑)

機械を介在させた音楽体験の質を語り、評価すること。

語るだけなら、わたくしを含め誰でもオーケーなんだけど(笑) 評価というのは易しくはない。自分の感性にゆるぎない基準のある人でないと困る。昨日と今日で言うことが変わるようじゃダメってこと。毎年スピーカーを変えるような人も、ね。

はなし変わって、導入2週間のSACDの件。

設置直後は低域軟調、高域硬調というよくあるパターンで、 インシュレータの扱い3パターン、電源ケーブル2パターン、ラインケーブル3パターン、これに入力ゲイン2パターンで様々なマトリックスを試した。難行苦行以外のなにものでもない(笑)
ただ、ここにきてマシンがこなれて来たのか、この2日間はほぼ固まっている。

とはいえ、CDとSACDの風合いの違いが気になる。同じディスクのレイヤー違いでも同じ傾向。SACDは、しなやかさで断然勝るのに、なにか暗くて緩い感じ。音が遠くて、しかも細く薄い感じもある。入手した数枚のJAZZでの判定はNGだ!
当方の追い込みが足りないのが一番の理由としても、古い音源を、ビットストリーム化する時点でマスターテープが大幅に劣化しているんじゃないかと疑っている。たぶんそれだ。ラインアウトがCDとSACDで別々に取れるなら、ケーブルで対応したい(笑)

ただ、新録音のシンフォニーとなると圧倒的にSACDに軍配。ダイナミックレンジが段違い! Fレンジは高域より低域の表現力が顕著に違った。これは想像外。

追伸:
エソテリックX-05BのCD再生は非常に素晴らしい。自然な質感も低域の立ち上がりも、X-30VUを寄せ付けない。とくに声のニュアンスの豊かさに舌を巻いた。パレットの色数が3倍になったような。ちあきなおみの歌の巧さは想像をはるかに超えていた。
あっ、これも単体コンポーネントの蘊蓄か。いかんいかん。



2010/03/30
1220 プロの仕事について

レコーディングエンジニアの伊豫部富治さんの仕事は、ひとことで説明しにくい懐の大きさがある。氏の存在を知ったのは「佐井好子」の一連のアルバムだった。テイチクブラックレーベル「万華鏡」「密航」、そして日本コロムビアの「胎児の夢」「蝶のすむ部屋」。これらすべての録音を担当していて、その一貫したブレのないサウンドクオリティに驚愕したのだ。

固有のキャラクターを伺わせないプロの仕事とは、こういうものだろう。こんなふうに書くと、色香に欠ける業務っぽい仕上がりを想像するかもしれないが、じつは正反対なのだ。血の通った等身大の肉声と楽器の美味しい部分を細大漏らさず納めながら、さらに空間の拡がりと空気の鮮度を醸し出す"匠の技" 人知れないところの作為は当然あるのだろうが、それがあからさまにならないから凄いと思う。

「胎児の夢」最終トラックの表題曲。幾重にも織り込まれたサウンドテクスチュア、疾走し炸裂するスピード&ダイナミズム。これに驚かない聴き手はいないだろう。ま、上手く再生できた場合に限られるが・・・わが家の場合、この録音から33年後のいまになって、ようやく全貌が見え始めてきたところだ。しかし、アナログディスクの最内周によくぞこんなものを刻んだものだ(笑)

氏のウエブサイトには、プロの世界の裏側を垣間見せる興味深いエッセイが満載なのだが、ひとつだけ引用させていただく。「縁の下のちからもち」から後半部分をエールを込めて・・・

オーディオ評論家先生達の記事を読んでいると「繊細でデリケート」「見事なアコースティック感」「見事なバランスと臨場感」「安定感」「程よい残響感」「スピード感」これ、全部ほめ言葉だ。
どれもいちいちごもっとも。でも、これは言葉は違うが、同じ意味のように感じる。すべて音場の空気感の事を言っているようだ。どの評論を読んでも必ずこのような言葉が使われている。別な角度から見れば「自然に、逆らわずに、録音している」そう解釈していいでしょう。何のことない昔から言われている、録音の基本「その一」だ。
「圧倒する低音」「太く豪快な音」「炸裂するドラム」「松やにが飛び散る音」「息づかいまで聞えそうだ」「繊細でかつどこまでも透明」いろんな言い方があるものです。
これらは意識して出来る録音ではない。基本をしっかり守り、自然にしぜんに録音すれば先生方の歯の浮くようなオホメをいただけるというものだ。
だが、実際、先生方の耳を奪うのは、録音ではなく、マイクロフォンの向こう側、つまり、イイ音楽、イイ音を出しているイイ演奏なのだ。
イイ録音が相乗効果となって「澄み渡る青空のようだ」と口走ってくれるのだ。すべて、録音の基本「その一」に過ぎない。
どんなに時代が変わっても、どんなに録音機器が進歩していっても、その録音の姿勢はなんら変わることはないだろう。

(・・・引用おわり)

ちなみに、写真右端の「あまぐも」。ちあきなおみが、河島英五と友川かずきの作品に挑戦した日本コロムビア時代最後のアルバムだ。クレジットに伊豫部富治さんの名前がある。たぶん1977年の録音で、先の「胎児の夢」と同年だが、これらを聴くと声の録音は進歩してきたのかどうか疑わしい(笑)

伊豫部富治 My Homepage
http://www.iyobetomiji.jp/



2010/03/22
1219 イメージの翼

ピアソラの晩年のレコーディングが SACDになり、思いっきり背中を押されたわけだ(笑)
機械マニアではないので、器に魅力があっても料理がうまくなければ、なんの意味もない。
このフォーマットが発表されてすでに10余年、
一部では衰退→消滅の噂が絶えないが、どうもそうではない気配。
空間を切り裂く刃の鋭さ、しなやかに乱舞する音の微粒子・・・
それらはイメージの翼と等価だと思った。



2010/03/17
1218 新宿御苑にて e

EOS-1D + EF24-70mmF2.8L

このEF24-70mmは2005年1月にEOS-1Ds markIIと共に購入した初めてのキヤノンレンズだ。
http://www.vvvvv.net/topics/topics.cgi?page=566

近頃はもっぱら商品撮影に使うことが多く、スナップで持ち出すことは希になったが、30mmから60mmあたりの描写能力は単焦点レンズに負けないし、色表現において他のレンズとは異なる、曰く言い難い魔力性を感じることが多々ある。
初代EOS-1Dにセットしたのは初めてなのだが、たとえ400万画素であっても、レンズの素性を伝えるところがスゴイ。




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