1273 ジャズオーディオ宣言
 山口孝氏の「ジャズオーディオ・ウエイク・アップ」(2004年8月)が大幅にリメイクされ「ジャズオーディオ宣言」として出版された。この本の内容は CS放送「ミュージックバード」でのトークを文字に起こしたものだったが、今回はリスナーではなく読者のために細部にまで推敲を重ね「リマスター版」を称している。
白眉は巻末に加えられた故・川崎克己氏との対談だろう。川崎氏がインタビュアーとして山口氏に、その生い立ちから始まり、さまざまな記述の背景までを鋭く引き出している。もとより彼の真価はその語りにあると思うから、ここで素の彼を浮かび上がらせたことで、この本の全体像を明快にし、理解を得やすくしたと言えるのではないだろうか。矢沢永吉を繰り返し評価している部分が意外でもあり興味深い。
わたくし個人は、強いて言えば無神論者であり「天才」の存在さえ疑っている"いち職人"であるから、山口氏の考え方にすべて賛同しているわけではないが、個人を超えたところにある精神の存在を信じているところは同じだ。そもそも「感動」とはそうしたところから発するものだろう。いずれにせよ、純粋かつ深淵な精神に触れた思いがする。
詳しい内容は実際の本でご覧いただくとして、インタビュー中の以下のフレーズにご注目いただきたい。
「孤独を感じることが、ブルースに共感した原点。」
「ピアソラの"天使のミロンガ"を聴くと私が泣いていると思える。」
「オーディオはイコンである。」
「本当は音のことは語りたくない。」
わたくしにとって、これらの世界観は、道元の「正法眼蔵」のなかのいくつかの教示と重なる。
第十八「観音(くわんのん)」から 当観・・・ただ観るのである。そうした当観であるからして自他を脱した観である。時節であり因縁なのだ。(途中略)それはどのような智をもっても観ることはできないのであって、ひたすら観るほかはない。」
第十九「古鏡(こきゃう)」から 〇一 鏡を見る顔と鏡の面にあらわれる顔とが同じであり、顔と鏡に映す顔とが等しい覚りの眼の証しである。(途中略)古には古の世が現れ、今の時には今が現れ、仏が来れば仏が現れ(途中略)古鏡は諸存在諸現象の実相空相のすべてを映すのである。 〇七(相似) いまこの世に現前する諸々の因果現象は、鏡を見る目〈鏡に映っている眼が見る眼〉それを見る眼との間に起こる現象に相似である。「同じように見ることができる」というのは、我々ではなく、誰でなくこれは「両人」が「両人」を見るのである。鏡に見る自己と鏡を見る自己の両人が相似なのだ。彼も我という。我も彼となるのだ。(石井恭二現代語訳から) |