イルンゴ訪問記
99.07.10

ちょっと前のことですが、独創的なD/Aコンバータを発表されている[イルンゴオーディオ]楠本恒隆さんのリスニングルームで数時間を過ごす機会にめぐまれました。MJの読者の方は「音まみれの日々」やアグレッシブなソフト紹介、ド級プレイヤ制作記事などでご存知かと思いますが、この時のサウンドレポートです。
TADのユニットを用いた2wayシステムが6畳ほどの狭い空間に配置され、リスニングポイントはホーンの開口部から約1.6メートルでしょうか。パワー/ウエイトレシオならぬパワー/エリアレシオは最高ですね!などと思わず口走ってしまいましたが、自社製 Model705 D/Aと同じくプロトタイプパワーアンプから送り込まれたそのサウンドはやはり半端じゃありませんでした。
ほんの少しナロー気味の、しかし帯域内にエネルギーのへたり感が全くない強靭なサウンドでした。驚くべきはコーンウーファとコンプレッションドライバのスピード感が揃っていることで、ぼく自身、この問題がクリヤ出来なくで日頃いじくり回しているのですが・・それはともかく例えばハービーハンコックの強打鍵がリニアに減衰していく様子、演奏者と楽器のテンションが最後まで持続しているのが確認できるような再現といったらよいのでしょうか。ちなみにパワーアンプのピークレベルインジケータは100W+を示していました。

持参したアナログディスク、バーデンパウエル88年録音のブラジル盤では、味で例えると苦みとか渋みのような・・ハンコックの例とは逆の内側に入るエモーションの世界が見事に表現されたと思います。楠本氏の言葉を借りるとこうなります……
 私にとって昨日のベストはバーデンパウエルでした。
 空間に立体的に浮かぶ音像。柔らかくて力があって・・・。
 演奏の中にある細やかな感情表現に感心しました。

CDに戻って、以前から気になっていた高音質復刻CDと通常の輸入CDの聴き比べをやって頂きました。4〜5種のサンプルで結論はもちろん言えませんが傾向としてやはりというかEQでかなりいじっているのが解ります。わが家の場合と同様の結果でした。例外なく中低域あるいは低域端を持ち上げています。モノによってはそのバランスを取るために高域の一部を持ち上げています。こうなるとアミノ酸調味料づけの食品と同じですねぇ。

という訳で話がそれましたが、楠本氏のように個人的な動機でメーカーを興すというのはオーディオ産業の理想形ではないでしょうか。彼はデザインにも鋭い感性をお持ちのようで日本のガレージメーカーが育たないのは、デザインがダサイというのが結構大きな原因とぼくは考えていたので、これからオーディオで身を立てようとしている人にも刺激になるのではと思います。


ストリートミュージック
99.08.07

昨日の夜、新宿駅南口を通りかかったら、JAZZのストリートミュージックをやっていて、
それが結構すばらしかったので、つい足をとめて聞き入ってしまいました。土濃塚隆一郎(フリューゲルホーン)という人のトリオで、Flhをこんなにタイトに軽く吹く人は
少ないです。路上で背後は国道20号で、へんな回り込みがない分、本当に無垢できれいな音でした。
オーディオマニアの性か、ついわが家の音と較べてしまい、うーん、中高域はそんなに負けていないぞ、でもウーファーの上の辺がやっぱりダメだなぁ、15インチの400-500Hzはつらいよなぁ・・・などとほんとバカですねぇ。


電源ケーブル
99.09.02

電源ケーブルの話題に割り込ませてください。
一般的なアンプの仕組みは、入力された音楽信号をもとに電源を平滑した直流電力で拡大相似形を作ることです。ですからアンプの出力電力の成り立ちは100%電源という訳です。等価回路で考えると分かりやすいですが、電源平滑用ケミコンにも音楽信号が通過?します。ライン間のシステムケーブルとは影響力は異なりますが、同じように重要なパッシブ素子と考えて良いと思います。
ケーブルやコネクターは微細ではあってもL,C,Rが存在します。磁性体があれば磁気歪みが発生しますし、コネクション部分で経路が急激に変化すれば反射の影響もあるでしょう。パッシブ素子によるフィルターあるいは共振ユニットが形成される可能性は大きいです。
例えば20mのFケーブル屋内配線に1mの高価なACケーブルをつないで効果があるかという話ですが、物理的特性が向上することはまったくあり得ません。聴感上、効果的ならそれはそれで結構かと思いますが、フィルターによるロールオフか共振によるリンギングのおかげと思うとあまり気持ちよくありませんよね。
回路から外れたパッシブな部分での音質への影響は非常に大きく、場合によってはコンポーネント以上と言えますが、ほとんどの場合「割れ鍋に閉じ蓋」的バランスで均衡していますから、どこか一カ所変更すると、大幅に再調整を強いられることになります。まあマニアはこれが楽しいのですが・・・


ダイナのイベント
99.11.06

ダイナミックオーディオ主催のイベントに行ってきました。AVALONやTHILE,WILSONBENESCHのハイエンドスピーカをJEFF ROWRAND,GOLDMUND,PASS,KRELLの最新AMPで鳴らすとあっては最近のオーディオ状況にまったく疎いぼくも興味をそそられます。ちなみにケーブルはPAD社製を総額4,000万円分!使用しているそうで・・・。
東京FMホールがこのような催しに向いているのかどうかは置いても舞台上にSPを設置して聴かせる手法はもう止めてもらいたいですね。元来、舞台の板というのは柔らかく造ってあります。リジットにしたら舞台上の踊り手の膝や足にダメージを与えますからね。

ソースはSACDや各社のプロトDVD-AUDIOもありで、新世代デジタルの片鱗でも感じられれば、と期待しました。ものによってはCDでは出にくい色彩感の移ろいのようなものを感じさせましたが、高域のクオリティがCDより劣っているように思えるものが多かったです。高域が改善されれば低域も良くなると言いますが、低域も芳しくなかったということはやはり高域が良くないのでしょうか?持論は「変な音なら出ない方がまし」です。総じて、非常に肌理細かくコントラストがやや弱い印象があり、音量感を得にくい傾向を感じました。ワイドレンジも慎重に考えないと家庭のオーディオでは逆効果になるかもしれません。


解像度
00.09.11

解像度はだれがなんと言おうと大事です(笑)。では、オーディオにおける解像度というものの実体はなんでしょうか?
モニタ画面だったら何dpiとかで、時間変化を考えなければ話は簡単です。画素はそれ以外のものではあり得ない。
オーディオの音素というべきものは、時間変化の一過程であるという前提があります。高域再生域が伸びていれば解像度も高いというのが定説なのでしょうが、これは、話が単純すぎる気がいたします。解像度の最小要素である「音素」は、さまざまな楽音の変化過程の複合体の一片であることを考えると個人的には、解像度を上げる近道は周波数レンジを広げることよりダイナミックレンジというか、リニアリティを損なわない手法にあるような気がします。


良い音とはなにか?
00.09.09

5歳のときに自分用の電蓄を与えられてから、
レコード聴き続け、もうすこしましな音で聴きたいと思い、
もう45年も経ってしまいました。

やはり基本は、生演奏の感動を再現したいということに尽きますが「原音再生」というアプローチは、みなさんが述べられているように音量的な制約が付いてまわります。場合によっては生楽器より大きな再生音量というのも、オーディオでは「あり」ですもんね。楽しく聴ければそれでよいのは言うまでもありませんが、演奏者や楽器のことをよく知っていたりすると、楽しく聴くためのハードルも非常に高くなります。ただ、どんなジャンル、時代にも共通するポイントというものがあって、

演奏者のエネルギー→ 演奏者の気配→ 演奏者相互の場→ 全体の場

これはプレイヤーのエモーションというかエネルギーの連鎖を言っているんですが、良い音(音楽)というのはこの相互関係がスムースです。「気配」や「場」とか言うと音場再生主義と捉えられるかも知れませんが、モノラル録音でも再現できる世界ですし、録音の優劣もそれほど関係ありません。
演奏者同士の相互関係というのは、いま個人的にいちばん注視していることで、それぞれの楽器や唄はちゃんと独立したエネルギーを保ちながら、双方が混ざり合うことで気配が変化するのを再現できるかどうか。

00.09.08
音楽的に面白く、或いは感動的に聞こえたか、ということと
楽器の細やかな音の響きがきちんと再生されているか・・・ということ。
個人的には全く同義語なんです。聴こえたことが事実です。これを天動説というのでしたら、異議を申し上げたい(笑)。
人によって異なると思うのはなにをもって「音楽的」と感じるかだったり、「細やかな音の響き」も視点はいろいろな方向からあり得えると思います。


フォーマットの問題
00.08.31

最近、47.8年のチャーリー・パーカーが思ったような音で鳴り始めました。これCDの話です。同一音源のアナログダイレクト盤と較べても優れていて、元ディスクのクォリティとマスタリングの勝利でしょうか。
(それとS氏に教えてもらった天板はずし・・)

アンチデジタルみたいなことを言った責任上、ぼちぼちと勉強していましたがやはりフォーマットの問題は大きいと思います。現行CDの場合、高域限界の問題ではなく、ずばり(笑)波長再現です。サンプリングという成り立ちでは、音高はアンチエイリアスされることでその音高を感じるようになっています。ようするにボケている。ハイサンプリング化する程、ボケは少なくなります。なので、マクロ的にはデジタルが圧倒的に優位ですが、ミクロでみるとアナログの方が正確であると思います。オーディオ技術は科学ですから、数字は基本ですよね。ただ、本当に大事な数字(音楽表現という観点で)と、カタログスペックを飾るだけの数字とあるわけで、その見極めが大事かと・・・。


大西順子は何処へ?
00.08.24

 マイルスは部屋に篭もって天井を見つめながら
 麻薬の禁断症状に耐えたと、伝記で読んだことあります。
 そういう人間の音楽です。

 守安詳太郎が当時圧倒的な力量を持っていたにもかかわらず
 自ら命を絶った(でしたよねぇ)のは、
 やはりパウエルから一歩も出られない自分に・・・・。

OJさんはきっと御本人の力量以上の世界が見えているのだと思います。いつかまた圧倒的な表現力を身につけてカムバックするのを期待しています。


河内音頭讃
00.09.19

今ごろの時期になると、大阪の人がうらやましいです。あの、河内音頭です(笑)。盆踊りの櫓の上で繰り広げられるライブパフォーマンスは最高ですね。(実は本物をいちども見たことないのですが)
若くして亡くなられた名手に三音家浅丸という音頭(唄い手)がいました。たしか40歳そこそこだったのではないでしょうか。もしCDを見かけたら、これはお奨めです。
河内音頭の編成は、音頭とお囃子の女性陣、バンドは大太鼓と三味線とエレキギターが普通で、ギターはフルアコ系イフェクタなしのシンプルサウンドなんですが、これがえらいカッコいいのです。後打ちのリズムを担当することが多いですが、ほとんどレゲエの乗りです。
東京で河内音頭やってるグループあるんだろうか?教えてほしい・・・。


パラゴン
00.08.18

70年代の話。
吉祥寺ファンキーや中野ビアズレーのパラゴンをよく聴きました。あれのベストポジションは反射板から1メートル以内だと思います。おっしゃるように1点から聴こえます。ただ075は、個人的には?です。あの取り付け位置はどう見たってあとから対策したものでしょう。オリジナルの2wayモデルを聴いてみたいものです。ついでですが、中期以降のウーファーLE-15も本来ミスマッチなんです。150/4Cという強靭なコーンをもつユニットが必須だったのですが・・・。


ダイレクトカッティング
00.08.17

SPレコードはダイレクトカッティング、あたりまえですが。(なおかつ78回転、悪いわけない。)
LP時代ではデンオンのキンテート・レアル(タンゴ)が有名ですが、東芝とかビクターも散発的に出していました。変わったところで、チャーリー・パーカーのサヴォイ盤(SP)を当時のカートリッジで拾って、LPにダイレクトカットしたってのが手元にあります。ただ、SP盤そのものが、あまり状態が良くないらしくそれほどびっくりするような出来ではありません・・。


無題
00.08.16

邦楽だけではありませんが拡声装置を用いず、力量ある演奏者に間近で接した場合、原音再生のような妄想は消し飛んでしまいますね。
変な例えかもしれませんが、演奏者が10のものを提示したとして録音再生出来る部分が8位あったとしましょうか。で、聴き手が一回で感受できるのは、その内2〜6位じゃないでしょうか。ただ繰り返し聴く中で視点が変わっていくように思えます。パッケージメディアを繰り返し聴くということは、多分そういうことがあるからですね。(あっ、話がそれた・・・・)
十七絃をさらに低域側に発展させた「三十絃」というのもあります。宮下伸氏の猛烈なダイレクトカッティングディスクがあります。


アンプの電源問題
00.08.09

電源の重要さをいまさら述べるのはここのメンバーの皆さんには「釈迦に説法」ってやつですがちょっと違う視点で、アンプの各増幅段に供給される電源の質を考えてみます。ご存知のように増幅1段ごとに音声信号の位相は反転しますから、たとえば全4段であったら1段目と3段目、2段目と4段目は同位相ということですね。程度問題ですが同位相の場合は振られてレギュレーションが悪化します。
で、この先をかくと自慢話になってしまいそうなので躊躇しますが、なにかの参考になるかもしれませんのでどうかお許しを。
わが家では、CDレベルを受ける1段ラインアンプと2段のパワーアンプで構成しています。ラインアンプは独立していてパワーアンプの初段に相当する役割をになっています。最大出力レベルは18V。電源トランス330V+330V/200mAから50mAを消費しますが真空管に供給する電力はわずか14mAです。当然安定化電源などではなくスパイクノイズキラーのスナバー回路以外は全9段に及ぶフィルタをもつ野蛮?な構成です。余談ですが壁コンセントの制約から、この電源のみを壁コンセントから供給しています。パワーアンプは出力管で出力管をドライブするいわゆるパワードライブですが理由のひとつは前後段の消費電流を近づけたいということなのです。スクリーングリッドの安定化については先日書きましたので省略します。

というわけで、増幅素子の各段ごとに他からふられない強固な電源基盤を備えることで、微細な表情とダイナミック感を実現しようという・・・思惑ですが。


クロスポイント
00.07.31

マルチユニットのクロスポイントをどこら辺に設定するのがBetterなのか個人的な考察(というほどのもんじゃない)です。
12〜15インチのウーファーを使う場合は500〜1000Hzくらいで中高域に繋ぐケースが多いと思います。声の帯域でいうと基音のほとんどをウーファーが受け持ち、倍音を高域側ユニットで、ということで原音の成り立ちから考えてうまく繕えるんじゃないかと想像しています。(基音と倍音では発生原理が異なるから?)
8インチのウーファーを2〜3kHzで繋ぐ場合、声の倍音域を複数のユニットが分割して受け持つので、再現性に問題をかかえることが多いような気がします。アルテックの604は15インチですが、初期のものはクロスが1kHz。後期型は耐入力の問題などで2kHz近くになりましたが、声の再現は初期型の方が自然なんです。
例外はダイヤトーンの2S305とロジャースのLS3/5Aで双方とも男声の再現は素晴らしいものと、未だに思っています。前者はメカニカルフィルタのウーファーにツィーターはローカット用のCが一つだけ、後者はかなり複雑な構成のネットワークというように、全然似ていませんが・・・。


コルトレーン
00.07.26

今朝、コルトレーンの「クレッセント」が聴きたくなって本当に久しぶりに針を下ろしました。
個人的にこのディスク、彼の最高傑作という位置づけです。1964年録音ですが、この後は例の「至上の愛」とか「ネイマ」とか精神世界っていうか、音が手段になってしまったというか、音楽が音楽である必然が弱くなった(偏見かもしれませんが)という気がします。
で、このクレッセント2曲目の「ワイズ・ワン」で言うとバラード風の空間を生かしたシンプルな音列を気持ちを込めて演奏します。バラードはプレスティッジ初期のものも透明で素晴らしいですが、これはその後数年の年輪を感じさせる風格があります。細かいビブラートが本当に必然性をもって響くのがその証拠?。最後のトラック「ザ・ドラム・シング」では、エルビンの野太いバスタムに乗って、コルトレーンが包み込むような母性的なロング・トーンを奏でて、官能的というのはこのような瞬間を言うのかと。

 この時代のコルトレーン、
 音楽と決別する意志のようなものがあったのでは・・・


ラ・スカラの色彩感
00.0718

もう20年以上も前のことですがスカラ座の200周年記念プログラムの一つであった「SIMON BOCCANEGRA」を観るチャンスがありました。Abbado指揮で、Maria役が売り出し中のKiri te Kanawaでした。このころのアッバードは良かったです。最近は???
で、なにに驚いたって「音」です(笑)。えっ!こんなに俗っぽい音でいいのかぁと言うくらい奔放で色彩感充満。フォルテッシモは天井まで飽和するほどのエクスタシー!出し物が「シモン・ボッカネグラ」でこれですから・・・。
#上野文化会館の「カルメン」ははるかにストイックな響きでした。


分割振動
00.07.17

フルレンジSPの歩がだいぶ悪くなっているようでして・・・。高域の分割振動を問題にされているようで・・・。そんなに悪いものではない、というのがぼくの考えです。
例えば8インチのウーファにホーンツィータを3Kとか4K、-12dB/octで繋いだとしましょう。ウーファ専用ユニットでも分割振動はしっかり有りますし、オクターブ上の8Kで 分割振動が-12dBになるかというと、ならないと考えています。なぜなら分割振動だからです(笑)。そこへ別種の振動モードのツィータが被さるのです。ツィータもピストン運動だけしているのではありませんから、非常に複雑な動作になります。いくらコンピュータシュミレーションして設計してもマルチウエイはみんな違う音しているのが面白いというか・・・。
その点、フルレンジは分割振動と位相変調があってもブロードに「変」になっているので、気に障らない場合が多いのではないかと考えています。問題なのはネットワークが入らない分、逆起電力がもろにアンプの出力端子にかかることではないでしょうか?アンプを選ぶという所以です。
#法外な値付がされているので、欲しくもありませんがウエスタンの755Aや728Aなどを聴くと、美しい音楽を奏でることに分割振動が貢献しているのがよ〜く理解できます。


サンタナ
00.06.24

ALTECのスピーカシステムに「サンタナ」というモデルがありましたが、そうじゃなくて、カルロス・サンタナです。(笑)
昨日、NHK-BSで東京国際フォーラムでのライブを放映していました。途中から見たのですが、凄いのなんのって・・・。昨年のグラミー賞で話題になっていたのは知っていましたが、ほんと十何年ぶりかで聴いて驚いたのは、昔より遥かに巧いということです。アップストロークで強靭な音を出して、ぱっと止める緊張感。ブラック・マジックウーマンのテーマの1音目の速いアルペチオ(なんて言うのか?)のセクシーさ加減!まいった、まいった。演奏を見ていると、彼の能力の50%くらいでやっているんじゃないかという余裕。エンターテイメントミュージックには、この余力が欠かせないんだということを思いしりました。
#オーディオもこうありたいと、痛感しますが・・・。


無題
00.03.06

音楽を聴くということは、(時空を越えた)多面体を受けとめるということですね。あるアングルで見えるものに制限があっても、視点を変えることで別のものが顕らかになったりします。だから同じレコードを繰り返し聴くわけで・・・。若干の色付け装置であろうと、純度至上主義のキリキリシステムであろうと、伝わる内容は聞き手次第・・・これは暴論か・・・。
個人的には、装置で色付けする方向は望んでいませんし、そのような努力はしているつもりではありますが・・・まぁ、誤解されるラインアップのようです(笑)。
色付けしたいと思ってオーディオをやっている人はいないでしょう?


00.10.02
レアリズム

映像が「幻影」であるという認識は違うんじゃないかと、思っています。
超古典的リアリズムを除けば、レンズの対象物としてのそれではなく、スクリーンに投影されたもの、あるいは印画紙に定着したものが作品そのものでしょう。
音楽再生がこれらと異なるのは、目指す対象の望ましい姿をマイクロフォン以前の状態、要するに「超古典的なリアリズム」を期待しているから?
昭和初期の日本洋画界の巨匠、岸田劉生が言った言葉をおぼろげに思い出しました。
「写実を極めた優れた絵画には、内から滲む装飾感が自然に備わっている。」
 もうひとつ、
「写実派でも表現主義派でも、めざす目的は圧倒的なレアリズムの獲得である・・。」


00.09.29
Wウーファー

2連ウーファーには、いつも憧れがあります。現在、市販で手に入れるとすれば、ウエストレイクとかレイオーディオなんかのモデルが浮かびますし、長岡さんのD99でしたっけ?あれも記憶に残っています。古いところではアルテック211やJBL4350かな。
たま〜に、Wウーファーの音を聴く機会がありますがこれがなかなか難しいようで、常音量域でシングルドライブを越えたと思わせる音に巡り合いません。微少域のレスポンスの不揃いが原因なのでしょうか?
唯一、というか忘れられないWウーファーのサウンドがあります。その昔、瀬川冬樹さんが山水のショールームでチューニング過程から公開した4350マルチアンプドライブの音です。あのときの様子はご自身の著書「虚構世界の狩人」に載せているくらいですから、やはり会心の出来映えだったのでしょう。幸運にも最前列で聴いていたのですが、チューニングがあってくると不思議なことにウーファーのというか、システム全体の存在感がなくなるんです。ただ空間に音楽そのものだけが在るという・・・。
ベイシーはどうなのでしょう?


バーデン・パウエルの名前を新聞の死亡覧で見て驚きました。

超絶的テクニシャンとしてデビューし、年輪を重ね、とても深い世界を表現するようになったギタリストです。
渋みとか滋味とかを教えてくれた人でもあります。


評論

レコード音楽の批評者はその装置に対して、オーディオ評論家は音楽そのものに対して、
自らのスタンスを明確にする必要がありますね。その辺じつに曖昧であって、だからぼくは評論家というより感想家であると思っています。


ラジカセ程度?

よく「ラジカセ」でも音楽は楽しめるとか言うときの、ラジカセ程度という評価基準は間違いであると常々思っています。今時のスーパーツィータや共鳴管を付けたやつは論外ですが12cm程度のフルレンジ構成のごくシンプルなものは本当に音楽をいきいきと描いていて大型装置のいたらなさを思います。音楽ファンで装置に凝らない人たちが悪い音で聴いているわけではないということ、オーディオファンだからいい音で聴いているとも言えないって、ありませんか?


00.09.25
「録音された楽器の音質に近づくのは難しい」と思うかどうかでその人のオーディオ観が決まるような気がしました。
ぼくの場合、録音されたというより、録音されるべき楽器の音質に近づくのは難しいと考えています・・・。だから、違うという前提で「演奏者の出したかった音」を想像し、それに近づけたいという想いはあります。まぁ、危険な考え方なのは重々承知しておりますが。


00.09.23
最高の音

目の前で生演奏聴いても、演奏者や楽器のコンディションをはじめ空間の響き等、なかなか最高!というふうにはならないです。これらの問題点も含め、理想の再生音というのは難しいと思いますが
いちど(20年くらい前)夢の中で聴いたことがあります(笑)。いまでも結構はっきり覚えているのですが、生演奏とは異質なものでした。女声のサンバカンソンでしたが・・・。


Dir en grey >> MACABRE

こんどのアルバムは凄いって娘に言われて、しぶしぶ掛けて・・・
これには吃驚!世紀末に巨大なグループ出現と言うべきでしょうか。ダイナミック、緻密、ファンタスティック・・・この手の音楽を賞賛する言葉が見つけられない世代なのが悔しい。
で、何を言いたいかというと録音の良さなんです。このジャンル特有のヒステリックさは皆無。骨太な音像なのにそれぞれの楽器の間に空気感がちゃんとあって、なにより響きが美しい。ヴォーカルはややオフながらダイナミックレンジが広く非常にリアル。ロックで音の良さに感激したのはそれこそ何十年ぶりかなぁ。これは、文句なく超おすすめです。


00.09.23
伝統音楽の残響について

三味線音楽を筆頭に、日本の伝統音楽ではホールの残響について過度に敏感というか嫌われる傾向があります。放送も同様でしょう。
全体にパルス性の発音楽器が多いということ、言葉を明瞭に伝えるということに理由があるのは分かるのですが、きれいに減衰するエコー感はあった方が、音楽が豊かに聴こえるのは伝統音楽も同じです。実際、紀尾井町ホールなどは豊かな響きをもった小屋ですが意外にも演奏家に評判がいいようです。有楽町マリオンもそうでしたね。
放送も最近ではNHK以外、オンエアーされることがないので比較し難いということはありますが、本来の響きを殺すくらいデッドに収音されるケースが多いように思えるのが残念ですね。


2000.11.13
またビリー・ホリデイ

ビリー・ホリデイのディスクで個人的な一押しは47年のカーネギーホールのライブです。 ピアノがあのボビー・タッカーであるというのも素晴らしいですし、ビリーのコンディションが(例外的に)良く、聴衆との暖かいコミュニケーションが伝わってくる録音(音も年代を考えるとかなり良い)です。
以前、ヴァーブの10枚組の全集に収録されていましたが初出盤がどういうものかも知りませんし、再発されたかどうかも分かりません。 ビリー・ホリデイ関係の文献をあさって調べたところ、1947年はピアニスト、ボビー・タッカーとの共演はたったひとつ。カーネギーホールのJATPコンサートに飛び入り的に出演したという記述がありました。いやがるビリーを無理矢理タクシーに押し込めて、会場に向かったとか。
たった4曲だけですが、本当に名演。信頼するボビー・タッカーに身も心も委ねているかのような、リラックスした優しさに満ちています。ラストの「アイ・カバー・ザ・ウォーターフロント」のひたむき!


2000.12.05
MJの記事から

オーディオ雑誌を購入することが、最近では少なくて、たいていは近所の公共の図書館で1か月遅れを借りて読んでいます。 そんな中で12月号のMJ無線と実験は、久しぶりに読みごたえのある制作記事が載っていました。
ひとつはDCアンプで有名な金田明彦氏の300B SEPPアンプで、OTLの手法ともいえるSEPP回路を管球の300Bで構成し、出力トランスはDCを流さない、単なるマッチングトランス。整流管のあとのCが1000μもあったりして、古い管球マニアは顔をしかめそうな手法が金田氏らしい?
もうひとつは手堅く緻密な設計法で知られる黒川達夫氏の2A3パラレルPPで、最大出力が30W。モノラル構成とはいえ かなりな高密度な実装で、調整も大変そうですが、ぜひ聴いてみたいアンプ。氏の設計は理詰めなので、出す音にもある種の先入観を持っていたのですが、実際聴いてみると非常に美しく緻密な音楽を奏でていた体験があります。
とはいいながら、いま使っているアンプに不満はそれほどないので読んで想像する楽しさで終わってしまう今日この頃でした。


2000.12.12
冬の夜のビル・エバンス

寒くなってくるとビル・エバンスをよく聴きます。 中学の2〜3年ごろだったでしょうか。TBSラジオ(まだラジオ東京のころかも)の深夜番組で、「小さなルル」という曲を聴いたのがビル・エバンス体験の最初でした。 まだ深夜帯はヤング路線にはなっていない時代で、あやしげなピンク番組なんかが幅をきかせていた頃ですが、TBSはジャズにけっこう積極的だったんです。
この曲は「トリオ64」というアルバムに収録されていて、きっと新着アルバムの紹介だったのでしょうね。 なにか、とても大人の匂いを感じて「ジャズはカッコいいなぁ」と思ったものです。ベースはゲイリー・ピーコック。 で、レコード屋へ走って、でも実際買ったのはオスカー・ピーターソンのベストアルバムだったのですが・・・。 個人的には、ラファエロ時代の「エクスプロレーションズ」が好きです。


2000.12.18
ブラッド・メルドー

あきらめかけていた、グランドピアノの表現が、(ホーンの置き方とダンプの加減で)納得のいける線に近くなってきました。そのかわり、ヴォーカルの微妙な感じは、やや整理されたか(CDの場合)? という訳で、ピアノばかり聴いている昨今ですが、去年あたりから話題のブラッド・メルドーはやはり素晴らしいですね。音色がとても温かいし、左手の動きは新鮮だし・・・。ペトルチアーニ以来の逸才ではないでしょうか。生で聴きたいと久しぶりに思ったアーティストです。


2000.12.25
楽器的

オーディオで「楽器的」という言葉、アキュレートな技術的追求と相反するような概念を指すような気がするのですが、いかがでしょうか。
本物より、豊かでつややかな響きを有為的にめざしたりとか・・・ 一方、楽器制作者の側から考えてみるとよほど特殊な例を除けば、その楽器の範疇という枠はあるにしても、音域の高低でばらつきのないバランスや、Dレンジ的に安定したレスポンスであったりと、スピーカーをつくるのと変わらない「自然さ」を求めていると思うのです。
「ルシアー」と呼ばれるようなギターの制作者が共通して言う「響きの単純化を避ける」というコンセプトに思い至ります。 要は、特定の材料(素材の場合もある)の共振(くせ)を分散化させる・・ということなのですが、数値に表れない 微細な現象やら対策に、驚嘆・尊敬してしまうのですが、行き詰まりを感じるオーディオ界も、「楽器的」の中に潜む 科学を真剣に取り入れた方がいいのじゃないかと、ちょっとばかり思いました。


2000.12.27
沖縄音楽の精髄

今年度の芸術祭賞を受賞した、「沖縄音楽の精髄」日本コロムビアCOCJ-59〜62が素晴らしいです。上下巻各2枚組 音源は1934〜40年のSP盤ですが、CDに巧く落としこまれていて、往年の輝きがほんの少しですが感じられます。本当はノイズ我慢してももう少しハイカットを緩やかにしてほしいところですが、商品としては致し方ありません。
特に下巻がいいと思いました。(上巻はかなり地味)太陽の輝きと透明な海を背景にゆったりと時間が流れている様が 伝わってきます。


2001.07.04
ニレジハージ

フジコ・ヘミングが脚光を浴びています。好きな人が結構多いので、感想は控えますが(笑)、彼女の演奏を聴いて思い出したピアニストがいます。
エルビン・ニレジハージ。ポーランド生まれの19世紀的ピアニスト。神童と言われた時代から失意の浮浪者生活、一転脚光を浴びた70年代。そしてまた失踪・・・
80年だったと思いますが彼の演奏を聴きました。高崎のとある短大の教室で数十人の観客を前に行われた演奏会。レコードで聴くあの大時代的サウンドの実体を知りたかったのです。一日目はかなり悲惨な状況で、手が震え、サウンドの抑制が利かないのです。プログラムはリストが中心でしたが、レコードでの欠点ばかりが 強調された演奏でした。
ところが二日目に奇跡がおこりました。前日とうって変わったクリヤーで暖かい響き。ドビュッシーを聴いて目頭が熱くなる思いをしたのは、これっきりです。袖で相沢昭八郎氏が10号リール廻していましたが、あれは出たんでしょうか?


2001.08.24
愛八姉さん

映画にもなって有名な「長崎ぶらぶら節」ですがこの主人公である愛八姉さんのオリジナル音源のCDを聴きました。(Victor盤VICG6040)
昭和6年の録音とありますが、とても良い音です。声に関しては、同時代でもかなり良いものが多いですが、三味線の質感をこれほどリアルに表現したものは初めて聴きました。推測ですがデジタル・リ・マスタリングで相当、いじっている感じ。でも、許せる程の快感といえます。 唄は・・・ 巧いというのとは異なる、でも見事に聴かせる芸でした。


2001.11.23
コンチェルト

長いこと叶わなかった「ある音」が、ちょっとだけ出るようになりました。
そんな訳で、50年代のモノーラル録音を聴いています。 筆頭は、ミケランジェリ、チェルビダッケ、パリ管弦楽団のベートーヴェンのピアノコンチェルト5番です。 いままでも名演とは思いながら、音の綾というべきものが再現できなくて、こんなはずではないと諦めていたのですが・・・。
しかしこの演奏、ライブなのですが尋常でないサウンドでした。鉱物質的なミケランジェリのピアノに、チェルビダッケの有機的な音塊が寄り添ったり、立ち向かってきたり・・・
もうひとつカラヤン、フィルハーモニアの1954年7月24日録音のタイースの瞑想曲(マスネ)。ソリストのクレジットを見ると「マノウグ・バリアキン」*とあります。どんな人なんでしょう?googleの検索でも一件も引っかかりません。ひょっとしてミススペル?とにかく素晴らしいバイオリニストです。緻密なアンサンブルとソロパートの融合と対比が見事。ちょうど織物の横糸が一本すーと抜けてきて、ソロになるような感じと言えばいいのか。
*マノウグ・バリアキンはフィルハーモニアのコンサートマスターでした。
これなら、ジネット・ヌブーもなんとかなるか?これは今夜のお楽しみ・・・




音楽、音に関するフォトエッセイ NEW!
◆幻聴日記 >>>

音に関する二、三の話

◆007 >>>

MJ97/01
マイ・リスニングルーム

◆006 >>>

以前のコラム
◆005 >>>

AUDIO & MUSIC TOP>>>