Photo & Text: m_a_c_h_i_n_i_s_t 幻聴日記最新版はこちらから |
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030 音の彼岸 その1 |
「音楽は、空気のなかに消えていく。そして再び捕まえる事は出来ない。」これはエリック・ドルフィーの名言だけど、ライブは一期一会だ。この瞬間と未来は、演奏者と聴き手が共振させる「場」に他ならない。聴き手の意志は、音楽の展開さえ変える力を持っている。 その意味でレコードは特別な音楽だ。不可侵の境界が厳然とあるのを認めたところから始めるオーディオがあっていいと思う。部屋がコンサートホールになり、演奏者がいないのが不思議・・・といった倒錯したリアリティは好まない。すでにこの世にいない人間の音楽ばかり聴いていることと関係ありそうだ。(不定期でつづきます) (PENTAX*istD smcA 50mm F1.4) |
2004/04/02 |
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029 桜を詠むのは難しい・・・ |
不思議な色だと思う。「そめいよしの」の花びら。ライトグレイに赤と青が微妙に入っている。職業的に分析すると、BL3%+M5%+C1%ってとこか。自己を主張するのではなく周囲の光を映す、むしろ滋味を感じさせる色合い。観察すると付け根付近はかなり濃厚な紅色で、これが花弁に溶け出すように浸食して、ほのかなグラデーションを形成する。風で花弁がゆれていて上手く接写できなっかたけれど、かすかに匂い立つような柔らかさを撮れたんじゃないかって。 それにしても、桜祭りのド・ピンクの提灯はなんとかならんものかねえ。 写真:新宿御苑にて (PENTAX*istD FA Macro 50mm F2.8) |
2004/04/02(画像変更) |
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028 MILANO1979 V 時空の重さ |
第二次世界大戦末期、ドイツ空軍の爆撃で瓦礫と化したサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会。その中で「最後の晩餐」の壁面だけが、無傷のままで天に向かって屹立していた事実は奇跡としか言いようがない。この残された壁を生かすべく建物が再生された。のちに壁画は、徹底的な復元作業によって、ダ・ヴィンチがたったいま描き上げたかのような極彩を取り戻しているけれど、500年の時空の重さを背負った「最後の晩餐」の最期に巡り会えたことは、われわれにとっての奇跡であった。そして、この記憶はいまも鮮明に心のなかにある。(おわり) (OLYMPUS OM-1, Zuiko35mmF2.8) |
2004/03/31 |
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027 MILANO1979 IV 静止した時間 |
主とその使徒たちはひっそりと視界の中に佇んでいて、空間を共有しているのは我々二人だけだった。壁画の前には櫓が渡されており、調査中の遺跡といった風情ではあったけれど、むきだしの壁画がなにものにも遮られずに、眼前に存在していた。作業用の無骨なライティングのもと、どれだけの時間この場所に止まっていたか覚えていない。まったく音のない静止した時間のなかにいたことだけは確かだ。(つづく) (OLYMPUS OM-1, Zuiko35mmF2.8) |
2004/03/31 |
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026 MILANO1979 III サンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会 |
スカラ座の興奮さめやらぬ翌朝、雪は降りつづいていたけれど、われわれはサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会へ向かった。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見るためだ。事前情報によると大規模な補修工事が始まるらしく、いちげんの観光客が入れるものかどうか不安を抱きながら、雪の降り積もった狭い舗道を歩き続けた。 ・・・しかし、いま考えても不思議な体験だった。並ぶ行列も、後に続く人影も見あたらないばかりか、係員の気配さえない。まるで導かれるかのように「最後の晩餐」を正面に配した部屋(元は修道士食堂)に入っていった。(つづく) (OLYMPUS OM-1, Zuiko35mmF2.8) |
2004/03/31 |
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025 MILANO1979 II ラ・スカラ 音空間 |
幸運にもわれわれはスカラ座の4階席に開演直前に座ることができた。息を整える間もなくアバドが登場。彼の振り下ろす一撃に、観客の歓声が一瞬静まる。序幕のテュエッティでもう唖然としてしまった。なにに驚いたって「音」そのもの。えっ!こんなに俗っぽい音でいいのかぁと言うくらい奔放で色彩感充満。フォルテッシモは天井まで飽和するエクスタシー。このころのアバドは、軽いフットワークで全身にパワーを漲らせた気鋭の司令塔だった。しかし出し物が「シモン・ボッカネグラ」でこれって・・・。 すこし前まで、わたしは舞台装置デザイナーをめざしていて、修行ということでオペラの舞台監督の助手もやった。藤原オペラの舞台は何回か見ているけれど「シモン・ボッカネグラ」は始めてだった。自らの不覚をちょっと恥ながら、ラ・スカラの空間に充満するフルボディの濃厚色、でも重さを微塵も感じさせない、時空が織りなす音の「饗宴」に身をまかせた。(次回はレオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」) |
2004/03/30 |