1221 オーディオ評論というもの。SACDのことなど。
 「もうオーディオ評論なんていらないだろ。」という意見を聞くことが多い。 オーディオ評論に値するような記述はここのところさっぱりだから、そりゃ解らないでもないけれど・・・ ないからいらないと言うのは後ろ向きであるし建設的ではないと、わたくしは思うのだ。
では、オーディオ評論とは何か?
端的にいえば、「機械を介在させた音楽体験の質を語り、評価すること。」これに尽きると思っている。コトバにすると簡単だが、いやぁ大変な仕事・・・
お買い物ガイドとして公平に機能すればそれでいいという考え方もある。
いま書店にあるSTEREO SOUND誌の特集「いい音を身近に」。製品ガイドとしては非常にわかりやすい。公平かどうかは知らんが。柳沢さんの巻頭言4ページは柔らかい語り口のなかに、オーディオ趣味のあり方を論じていて、製品ガイドの前書きとしては、格好の読み物に仕上がっていると思う。
音の世界は抽象度が高いので、なにかを深く語ろうとするとつい難解になる。そのあたりで、戯れ言、偽ポエムと断じられることも多々。 ただ、それらの難癖はオーディオを機械だけで論じる視点がそうさせるわけで、オーディオにとって、機械は中核にあるけれど、それが主役ではないということをあえて言いたい。音楽そのものと聴き手の感性に宿るのは言うまでもないこと。
とくに単体コンポーネントの評価、ほとんど無意味って思いません? △△△ってアンプはどうたらこうたら、□□□コンデンサは・・・ こういうのは、いっさい信用しておりませんので(笑)
機械を介在させた音楽体験の質を語り、評価すること。
語るだけなら、わたくしを含め誰でもオーケーなんだけど(笑) 評価というのは易しくはない。自分の感性にゆるぎない基準のある人でないと困る。昨日と今日で言うことが変わるようじゃダメってこと。毎年スピーカーを変えるような人も、ね。
はなし変わって、導入2週間のSACDの件。
設置直後は低域軟調、高域硬調というよくあるパターンで、 インシュレータの扱い3パターン、電源ケーブル2パターン、ラインケーブル3パターン、これに入力ゲイン2パターンで様々なマトリックスを試した。難行苦行以外のなにものでもない(笑) ただ、ここにきてマシンがこなれて来たのか、この2日間はほぼ固まっている。
とはいえ、CDとSACDの風合いの違いが気になる。同じディスクのレイヤー違いでも同じ傾向。SACDは、しなやかさで断然勝るのに、なにか暗くて緩い感じ。音が遠くて、しかも細く薄い感じもある。入手した数枚のJAZZでの判定はNGだ! 当方の追い込みが足りないのが一番の理由としても、古い音源を、ビットストリーム化する時点でマスターテープが大幅に劣化しているんじゃないかと疑っている。たぶんそれだ。ラインアウトがCDとSACDで別々に取れるなら、ケーブルで対応したい(笑)
ただ、新録音のシンフォニーとなると圧倒的にSACDに軍配。ダイナミックレンジが段違い! Fレンジは高域より低域の表現力が顕著に違った。これは想像外。
追伸: エソテリックX-05BのCD再生は非常に素晴らしい。自然な質感も低域の立ち上がりも、X-30VUを寄せ付けない。とくに声のニュアンスの豊かさに舌を巻いた。パレットの色数が3倍になったような。ちあきなおみの歌の巧さは想像をはるかに超えていた。 あっ、これも単体コンポーネントの蘊蓄か。いかんいかん。 |