802 イブは越路吹雪
 LDで70年の日生劇場ロングリサイタルと85年のミュージックフェアを視聴しました。年末になると、どういうわけか越路吹雪を聴きたくなるのです。以前からとても好きな女性歌手のひとりではありましたが、あらたな感慨をもって見入ってしまいました。自分の年齢が彼女の没年齢と同じになったせいなのか、初めて彼女の歌世界に同じ地平で向き合えたような気がしました。偶像ではない原寸大の、それも愛おしく一生懸命な表現者として目の前に現れたことに驚いたわけです。 ・ 70年の日生劇場リサイタルは、いわば彼女の上昇のフォースがいちばん強い時期でもあったと思います。前年の初ロングリサイタルは大成功のうちに幕を閉じましたが、このときの初日の舞台が2枚組LPとして残されています。初演された「人生は過ぎゆく」の緊迫感は例えようがないほどで、ぼくの愛聴盤でもあるわけですが、それが翌年(70年)になると聴衆への強力な放射力を備えるようになり、声質というか表現のダイナミックレンジの広さは日本の歌手で例えるものがないほどです。このLDでは、「失われた恋」「人生は過ぎゆく」そして「愛の幕切れ」と絶妙な連携で繋がれています。 ・ 越路吹雪はドラマチックな歌手と評されますが、彼女の凄いところは、表現の背後に自分自身がいつも在ることではないでしょうか。そこが、ちあきなおみの黒子に徹した透明な自我と大きく隔たる部分ではないかと、理屈っぽく考えたりします。 ・ もう一方のミュージックフェアのオンエア編集版の最後は1985年4月に収録されたもので、じつはこの年の11月に彼女は亡くなっています。化粧の奥のコンディションの悪さは隠しようがありませんが、放たれた声の生命感は尋常ではありません。「別れて愛が」「アプレ・トア」さらに「妻へ」 最後の壮絶でしかも底なしの豊かさ・・・ チャイコフスキーの「悲愴」の終曲アダージョ・ラメントーソになぞらえても言い過ぎではないでしょう。 |