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2007/05/28
842 力の在処 アナログvsデジタルから

土曜日にミニオフを行った。今回集まっていただいた方々は偶然にもアナログ使いの達人ばかりで、以前だったらこういうシチュエーションではLPは遠慮するところだ(笑) それなのに延々9時間ちかくお皿を回し続け、いまさらながらアナログディスクとCDの音の違いを感じた。優劣をつけたいわけではないし、ある意味で不毛な比較には違いない。ただ、根元的な、いわばエネルギーの在処に由来するものと思ったのだ。クオリティとかバランスとかの問題ではない。

その1:低域は圧倒的にCDが優れている。500万円クラスのアナログプレイヤーを巧く使いこなせばどうなるか、経験がないので分からないが、一般クラスで言えばエネルギーの持続感はCDにアドバンテージがある。

その2:S/Nとダイナミックレンジ感(←感、というところがミソだ)はアナログの方が優秀だと思う。へんな言い方だけど、音量とエネルギーが比例、調和するのがアナログの長所かもしれない。デジタルは基本的に同じ力感(テンション)のなかで音圧だけが変化する気がする。そりゃ、500万円クラスのCDプレイヤーを巧く使いこなせばどうなるか。逆転するかもしれない。

その3:粒状感。これは一長一短でアナログの粒子は丸くてサイズが様々。エッジはシャープ。CDはしいて言うと敷き詰めた四角いタイルを均等にぼかしたような滑らかさ。小音量ではCDの方がエネルギーのある分、有利かもしれないが、大音量域では作為感が付きまとう。

一般的なDAコンバータのアナログ変換では、瞬間(点)の電流値をコンデンサで掃印して次のポイントまで持続させる。これがエネルギーの源で、電源がしっかりしていれば外乱は少ない。対してアナログディスクでは、ターンテーブルの回転力といういわば直流エネルギーから、機械的な弾性(中点に戻る力)を介して交流エネルギーを取りだしている。これは微小レベルになるほど外乱の影響を受ける。ただ、これが悪いことと単純に言えない面もある。このあたりにデジタルとアナログの差がでるような気がしているのだが・・・いやぁ、週明け早々屁理屈っぽい話しをしてしまった。異論反論大歓迎(笑)

写真:箱根ラリック美術館にて。展示ケースが展示ケースに入っていた。



2007/05/25
841 メーリングリスト

インターネットに繋げるようになったのはSo-netの地元局がようやく出来たころだから1996年か。そう、あの頃は市内に接続ポイントがないと経済的な実用性がなかったのだ。

メーリングリストという言葉を聞いたのはそのしばらく後だ。妻が「パピヨン倶楽部」という犬のMLに参加した。メールアドレスのリストに、なんの意味があるのかと訝しく思ったら、メンバー全員にメールが行き交って非常な盛り上がりを見せていた。ここは日本ではかなり早い段階で立ち上がったMLだろう。サーバーは初台のアップルジャパンのなかにあったと伝え聞いた。そういえば、この時代のインターネット利用者の半数はMacユーザーだったのだ。そのうち、住居の近い人たちが集まってオフ会を催すようになり、ぼくも野川公園や小金井公園にお供したが、同じ犬種を引きつれて多くの人間が集まるのはとても不気味な風情だった(笑)オーディオのオフ会も端からみたらそれはそれは怪しいものに違いない。

あるとき、この「パピヨン倶楽部」で写真集を作ろうという話しが持ち上がり、メンバーの中だけであっという間に制作スタッフが揃ってしまった。表紙のイラストレーター、ヴィジュアルを考えるデザイナー(不肖、わたくしである)そしてページレイアウトと進行を受け持つプランナー。写真データはメール添付がメインだったし、校正チェックがPDFってところが凄い! 数年後の業界のフローを完全に先取りしていた。

オーディオのメーリングリストも随分多く参加させてもらった。現在でも4つは活動中だけど、ひところの活気はない。話題が出尽くしてしまったのか、こういう仕掛けに飽きたのか。パピヨン倶楽部も写真集を出したころがピークで、いまは分散化してよりクローズドな交流に戻っていった。この写真集を見ていると、ネット黎明期のオープンな活気というものについ思いがいってしまう。



2007/05/22
840 宮ノ下、富士屋ホテル

時の澱(全4点)
http://www.vvvvv.net/film/topics.cgi



2007/05/21
839 表現のダイナミックレンジについて

ハイファイというと、ついワイドレンジだのダイナミックレンジだのと、再生のキャンバスの広さを競う傾向になりやすい。それで、すべての音楽表現を全うできれば、全然問題ナシなのだが・・・

強い音、弱い音
激しい音、優しい音
喜びの音、哀しみの音
出る音、引く音
白い音、黒い音 ←なに?

というような、レンジもあるわけで、特に右側の項をなんとかしたいと思っていた。

一ノ関のベイシーで聴いたビリー・ホリデイがとても良かったという話しは何度も書いているので、しつこいけれど、彼女の最良の表現が伝わって来たと心底思った。

なにが良かったのか? これを解明するのは難しい課題だ。従来のオーディオ技法だけではクリアしにくい部分であることには気がついたが、具体的にここをこうしたら解決するという回答は簡単には見つからなかった。

考えてみると先の項目の右側表現をベイシーはクリアしている。で、それを達成するには左項もキチンと表せないとダメということは当然として、右項を全うするにはシステムとしての余裕度がより必要ということに最近気がついた。ギリギリ目一杯の表現力では"哀しみ"や"引く表現"は表せない。さらに言うと両翼の幅は広さではなく、連続性と対比で感じさせるものではないかと思い至った。

ときどき、ふと、このニュアンスはベイシーにあったものだなあ、などと思うことがある。別に同じにしたい訳ではないし、あそこにも弱点はあって、低域がわたし的にはファット過ぎるとか、いろいろ・・・あっ、低域ファットの貢献度があったのかも(笑)



2007/05/17
838 エンクロージャーの振動を考える

大音量域のエンクロージャーの振動は弊害には違いないけれど、これが皆無になって、ほんとにいい楽器の鳴りが期待できるかというと、どうもそうではないらしい。

F特的に低域が十分に伸びたスピーカーで、ストレスのない軽い低音を放射するのは至難だ。生音を聴きながら再生音のことを考えるのはオーディオマニアの悪い癖だが、この音にいちばん近いのは十分なサイズをもつ平面バッフル以外にないと断言したい(笑)

余計な振動を止めながら、そのことによって新たな弊害を出さなければいいのだが、重さで押さえ込んだりすると、その重さが悪さをする。これは巨大質量のアナログプレイヤーの弊害と同質のものだ。といってジュラルミンや超高硬度アルミANP89は鳴き出したらトンでもないキャラが乗りそうで恐い。やはりキャビネットに使っているMDFで構造的な補強という線に落ち着くのかどうか。いまだ継続審議中・・・

スピーカーキャビネットの振動については、一頃のDIATONEはかなり高度な研究をしていたみたいだが、いまどうなったのだろう。技術の継承は十分に保たれているのか。どっちにせよ日本のメーカーは振動を止めることにまっしぐらだったが、綺麗に響かせる知恵が足りなかったのではないか。その意味で、欧米のいわゆるハイエンドメーカーはユニットを外注に頼るのとひき替えに、エンクロージャーの研究は進んでいると思う。



2007/05/08
837 音楽の一回性とレコード演奏家論

あるところの議論にインスパイアされて、表題の二つの絡み合った関係があっさりと解れてしまった。結論をさきに言ってしまうと「スタジオ録音というものは、音楽の一回性をリスナーによる再生の時点まで先送りしている。」ということだ。

菅野沖彦氏の提唱する 「レコード演奏家」という言葉をはじめて聞いたとき非常な違和感を感じた。演奏しているものを演奏するって、ありえない。僭越なんじゃないかって。ただ、演奏とか創造、あるいはアートという言葉の本当の意味を考えたとき、半分は当たっていると思った。演奏とは、音楽家が自身の音楽を奏でることに他ならないとしても、純粋な自己表出とは異なる。クラシックだったら作曲家への敬愛であったり、ジャズやブルースなら、先人たちへの慈しみかもしれない。自身をトランス状態にすることで、いまは亡き偉大な表現者を顕現させる名演奏だってある。

その意味ではオーディオもまったく同じだ。どんなコンポーネントを選ぶか、どういう風に鳴らすかかは、より良いあるべき音楽再現を望む気持ちから来ていると思う。とはいえ、オーディオ再生で「演奏」という表現(ネーミングなのか?)にある種の引っかかりがあったのは、音楽の一回性という摂理(森羅万象を支配する道理という意味)に捕らわれたいたからだ。ドルフィーも言ったように音は消えて無くなり、二度と戻すことはできない。ぼくのオーディオのスタンスは戻れないであろうその場所、時間へ戻るための"あがき"のようなものだった、という話しはこの際置いて(笑)・・・

スタジオで収録された音を、音楽に成りきる以前の"音素"と考えたらどうだろうか。リスナーが部屋の空気を鳴らした時点で"音楽"として甦る。音楽を記録した時点、再生した時点、どちらをを基点にするかの違いだけではない重要な問題を孕んでいると思うのだが・・・。

(また、理屈っぽいコトバ遊び、ってどこかのブログで叩かれるんだろうなあ・・・笑)



2007/04/30
836 命名「Air's Edge One」

アルテックのオールドユニットを使ったフロントローディング仮想同軸2ウエイスピーカー、って呼ぶのは面倒なので名前をつけた。名前は "Air's Edge One" 日本名 "空界1"。以後よろしく(笑)で、それを記念して、連ちゃんミニオフを敢行した。

1日目は、サウンドエンジニアのKさん。平原綾香さんの「クリスマス・リスト」という素敵な作品をご存じの方もいっらしゃると思うが、これは彼の録音である。ぼくより年下なのに鷺宮時代の瀬川冬樹邸の音を聴いているという筋金入りのオーディオファイルでもある。前回、コンディションの優れないときに聴かせてしまった経緯があってその雪辱戦だから、かなりの緊張。音は、本当のところどう思われたか自信はないけれど、音楽そのものを楽しんでいただけたようだし、お帰りになってご自宅の装置を明け方まで聴いておられたそうで、なにがしかのインパクトがあったのかもしれない。また、装置トータルのノイズフロアの低さに注目していただいたのは、さすがプロの視点。夜間だったので、音量はそこそこに抑えたがそれでもピーク110dB/1mに近いレベルだった。最後にかけたわが家の定番、ミージアのピアノ伴奏ファドは極々控えめな音量にもかかわらず、声の深度と消え入る余韻を見事に再現していた。これが一番の出来だったのはやや複雑な心境・・・。

翌日は、わが家から徒歩5分に在住のりゅりゅさんをお招きして定点観測をしていただいた。昨日最後に聴いたミージアから始める。間髪を入れずピアノが良くなったとおっしゃる。3-4年のお付き合いになるが、彼の耳とストレートな物言いは信頼できる。アナログディスクで、EW&F、浅川マキ、セシル・テイラー、コットンクラブ・・・ほとんど節操のないセレクト(笑)日曜の午後だから音量は昨晩よりかなり上がっている。最後にご持参の爆裂ソフト2点(上原ひろみ、ブロンボ)、方々のお宅でユニットやらアンプやらを飛ばして楽しんでいるらしい。まったく・・・。あえてボリュームを上げてみた。このスピーカ、いや"Air's Edge One"の過去最大音量だ。初期の9Wのビームシングル管のときもQUAD303のときも当然ながらユニットの限界を見せることはなかった。現メリディアン557はその数倍のパワーをもっているから、アンプもなかなか限界をみせない。どこまで行けるか*試したくなったのだ。隣室の食器戸棚は扉が外れそうなほどの振動が来たし、TVの上の木彫りのクマちゃんは仰向けになって落下してしまった。ヘビー級の破壊力とフェザー級のフットワークを兼ね備えたような、猛烈にソリッドで俊敏なサウンド。ピーク120dB/1m**は明らかに超えている。しかしなんの破綻も起きなかった。鳴り止んだあとの静寂が妙に心地よい。音楽のではない"音の魂"というものがあると思った一瞬であった。

*=ちょうど良い機会だったので、エンクロージャーの耐震能力を試してみた。懸念していた数カ所の振動データを採取した。(って単に手で触っていただけだが・・・)予想以上に堅牢ではあったが一箇所のみ対策が必要かもしれない。どうするか悩み中・・・
**=わが家の装置の最大可能音圧は机上計算で124dB/1m/200W(片ch)である。ちなみにJBL D66000+マッキントッシュMC501/500Wも、ほぼ同等である。耐入力では到底敵わないが、微細レベルのリニアリティでは当方に歩がありそうに思える。べつに大きな音が出りゃいいってものではないが、ノイズフロアと最大音圧との幅は音楽再現力にとって極めて重要なスペックであることに変わりはない。



2007/04/27
835 されど、マット

ディスクマットが音に影響するのは薄々感じていたが、DENONのDP80を使いはじめた頃だから27年くらい前か。落語家柳家小三治さんの(いまは知らないけれど、かなりオーディオに凝っていた時期があったのだ)スエードのなめし革に軽くアイロンかけて円く切って、いままで使っていたゴムシートと入れ替えてこらんよ。びっくりするよ。という夕刊紙のコラムが気になった。で、さっそくトライしたのだが、順序を間違えて円く切ってからアイロンをかけたら、周辺が伸びてしまい使い物にならなかった(笑)

レコードマットは、No.21のレコードプレイヤー論で書いたように、振動循環系に直列に入っているから、カンチレバーやトーンアーム素材の違いほどではないにせよ、同質の変化をもたらす。理屈でいえばディスク・ターンテーブル一体が好ましいわけだが、その場合、物性に由来する響きがどう乗るかが問題で、たいていは詰まった伸びの乏しい音になる。金属盤も過去にマイクロ純銅製から、テクニカのすり鉢状ディスク密着型などいろいろ試したが、みんなダメだった。ターンテーブル本体と金属盤の厳密な平面性が保たれなかったからだろう。点接触では逆効果だ。なわけで、いつも付属のゴムシートに戻ってしまう。また、センターに被せるスタビライザーにしても、それで良くなったと感じたことは一度もない。

Projectのアクリルターンテーブルはディスク直置きでもヘンな音は乗らないのだが、スリップ止めのスタビライザーが悪さをする。かといって付属の粗いフェルトシートは音が微妙にフォーカスしないし、ゴムマットもいまさら使いたくない。
そこで、評判のfo.Qの高分子制振ディスクマットを試してみた。
http://www.foq.jp/products/analog/rs912.html
穴あきの1mm厚と通常2mm厚がセットで適宜組み合わせて使えと説明書にある。

1:2mm+1mm NG デッドかつ余計な付帯音感知
2:2mmのみ NG デッドで音楽が弾まない傾向あり
3:1mmのみ GOOD! 音楽の起伏はこれがいちばん出る
 
と、こんな印象だった。あくまでも我がRPM9.1における評価でしかない。念のため。3でもセンタースタビライザーを乗せると2に近い感じになる。
この素材はゴムのようなダルい感じにはならないが、元の響きを抑える傾向がある。0.7mm厚くらいを試してみたいものだ(笑) この状態で響きを殺さない傾向のフォノケーブルを選択すれば、アナログプレイヤーのチューニングはいちおう完了になると予想し、ベルデンの銅箔シールドインターコネクトを試しているところだ。やれやれ。




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