877 音の敏感力が・・・
 先週末、音楽鑑賞オフ会を行った。夏休みの真っ只中、それも直前告知だったため、数名の方々から「もう予定入ってるから・・・」とご連絡いただいたが、それでも3名の熱き音楽愛好家のご参加をいただき、あらためて感謝申しあげたい。
じつはその前日に、エアコンの下で口を開けて小一時間ウタタ寝をしたせいで風邪をひいてしまい、咳を堪えるのに必死でほとんど喋れない、という情けない状況。お招きしながらほんとに申し訳なかった。さらにマズイことに、耳に膜が二重に張られた感じで肝心の音がよく聴こえないのだ。味見しないで料理を出すシェフがあっていいのだろうか(笑)
基本的にオーディオの音を聴くためのオフ会はやらない。べつにオーディオファイルを揶揄しているわけではなく、当方の装置が世間のハイクオリティオーディオの表現する世界に達していないからで、さらに言えば、機械の格の違いによる変化量にプライオリティを置かないという"ひねくれ者"だという事情もある。
わが家のオーディオ機器は音量調節以外に操作する部分がない。機器の絶対的クオリティが"そこそこ"ということは、音楽ソフトのポテンシャルを引き出すための操縦はボリュームしかないわけで、この点はかなりシビアに対処しているつもりだ。が、耳がこんなではそれもままならない。ところが隣室の妻に尋ねると、けっこうイイ音が出ていると言う。まったくオーディオは不思議なものだ。ちなみに今回の音楽鑑賞会の締めは"ラブ・サイケデリコ"の「I will be with you」信じがたいほどグッと来たんだが、これって鈍感力のなせる技か?
付録:
いい機会だから、耳*の状況が芳しくないときに、どのように聞こえるか観察していた。まったくホスト失格であるが・・・ 顕著だったのは微少音量域の追従性が損なわれていることだ。ニュアンス**が聞き取れていない。不感レベルが嵩上げされた状況といえばよいのか。音圧として感知できてもあるべき変化に聴感がついていかない。
*耳の性能とは鼓膜とそれに付随する機構一式と脳における聴感覚ソフトウエアの総合性能だから、耳の機構が劣化したからといって聴力そのものがリニアに劣化するわけではない。しかし、限界をこえればソフトで補償できないという事例かもしれない。
**個人的に装置のチューニングでよく使うのはヴォーカルのような人間の聴覚に敏感な部分の変化を聴き取ることだ。ローズマリー・クルーニーの「Don't Explain」のなかのあるコトバに注目する。"Quiet Night"とか"Lipstick"あたりの波形の皺とか滲みかたに意識をフォーカスさせるのだ。スピーカーを別のモノに変えても変化は少ないのに、入力系、とくにターンテーブルのクオーツロックのオンオフなどで表情が激変したりする。不思議というわけでもないが・・・ |