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2008/04/02
945




2008/03/31
944 フローティングブリッジの謎

ストラトキャスターのブリッジはいかにも華奢な構造だ。L型に折り曲げた金属板をやや緩めたネジで浮かせ、弦のテンションと裏側のコイルスプリングの張力で均衡させる仕組みになっている。

元来、トレモロなんか使わないので、ブリッジを固定していた。6本のネジを完全に締め付け、さらに裏側のテンション調整用スプリングを5本に増強して・・・

・・・しかし、そのような野蛮な対処はフェンダーの意にそぐわないのではないかと最近思い始めている。トレモロを使うか否かに関わらず、このブリッジはフローティング状態で楽器としての音色を醸し出しているのではないかと。

G&Lというメーカーではこのブリッジをダイキャストにしてサスティーンの伸張を計ったらしいが真意はどこにあるのだろうか? 以前、三味線の構造を学んでいて*分かったことは、構造の単純化と複雑化は、それらの相互バランスで音を作るということだ。楽器製作者は響き(振動モード)の単純化を嫌う。多様な倍音を殺ぎながら、マテリアル固有の音色が前面に出るからだと推察する。

というわけで、リペアショップに依頼して、完璧なフローティング状態にチューニングしてもらった。

*参考ページ
三味線の不思議「サワリ」を考察する。
http://www.vvvvv.net/audio/syami03.html



2008/03/24
943

EOS-1Ds3+EF50mmF1.8(I型)



2008/03/22
942 ちあきなおみ"別れの一本杉"

youtubeのちあき画像はだいたい見ていると思ったが、検索キーワードを変えてみたらお宝がぞくぞく出てきた。その白眉がこれ! 作曲者である船村徹のガットギター1本で歌っている。彼女の場合、というか巧い歌い手によくあるケースではあるが、バックの編成が小さいと歌唱の自由度を思いっきり広げる。

音程が不安定な部分があるが、この圧縮音声データからその"ズレ"の真実を探るのは難しい。

データの圧縮や繋ぎ直し(たとえばHiFiビデオのようにヘリカルスキャンした断片を再構築するといった・・・)でいちばん顕著な劣化はニュアンスの欠如なのだ。巧い歌が下手に聞こえたりする。



日本の伝統的音楽が和声への道を選ばなかったのは、音程や音色の複雑化を優先したからではないだろうか。和声には音の規格化が求められると思うが、和声によって得られるもの、失われるものがある。この、ちあきなおみの歌唱はそんなところに思いを馳せたくなる。



埋め込み動画が表示されない場合はこちらから
http://jp.youtube.com/watch?v=EVC4Ua3x6UI&feature=related



2008/03/21
941 雑誌「遊」オーディオ広告

1979年「遊」第二期のころ、巻末の広告制作に関わっていた。これはオーディオプロダクツの仮想広告に姿を変えたデザイン事務所の広告であって、わたくしはここに勤務していたのだ。

右下のクレジットではコピーライティング担当となっているが、じつはスピーカーシステムの設計から広告デザインまで、そのほとんどを担当した。16オームのFE103Σを4本パラレルで平面バッフルという構想をその以前から抱いていて、社長の許可のもと実際に製作した。全体・部分を問わず寸法比率を単純な整数値にしろという命令を覚えている。実際の製作はその方面のプロに依頼したから仕上がりは製品として通用するレベルにあった。バッフルは30mm積層合板で背面のフレームアングルは無垢のスティール角棒を溶接したものだ。

オーナー(社長)宅のJBL-4331と鳴き合わせをした。キース・ジャレット「ケルンコンサート」、ややナローレンジながらもグランドピアノの強靱なフレームを彷彿とさせる押し出し感が凄い。

その後、メインスピーカーの座を明け渡したJBLがワイドレンジ化改造に向かったのは必然だったのかもしれない。じつはこのネットワークの製作も担当したのだが、これは失敗だった。



2008/03/19
940

EOS Kiss DN + EF50mmF1.8/I ISO:200, F5.6, 1/250sec.
http://blog.goo.ne.jp/gencyo/e/ae8851ab0b86c15bd7456357976033ce



2008/03/17
939 EOS-1DsMarkIII

2005年1月から2006年11月までEOS-1DsMark2を使っていた。この時期の幻聴日記はほとんどこのカメラで撮影した写真である。ウエブにはオーバークオリティであったかもしれないが、それは解像度的尺度での話であって、スムーズな階調性と色再現でやはり際だっていた。シャッタータイミングを外さない信頼性も抜群だった。

この頃は仕事としての物撮りは少なく、広告のメインとして全面たち落ちしで使用するようなカットは数点に止まっていたし、結果的に1670万画素の能力をアピールするような写真は撮れていなかったと内心忸怩たる思いがあった。

高画素カメラの怖いところは微細なカメラぶれである。この期間はすべて蛍光管による定常光撮影だったから1秒前後の露光が普通だった。意外なことだけれど30秒とかの長時間露光よりこの1秒前後のシャッター速度が鬼門なのだ。露光時間に対するレリーズ動作の衝撃時間の割合が多いというのがその理由だ。たとえば、撮像素子の1ピクセル分が斜めにぶれると1670万画素は一気に1/4(417万画素)の解像に成り下がる事態も考えられるわけだ。

さらに物撮りで問題になったのは、まずパンフォーカス(前後万遍なくピントが来ている状態)の困難さで、これはセンサーサイズの小さなAPS-Cや4/3が有利だ。(といってもレンズを絞り込んだときの回析現象はセンサーサイズに関わらず発生するので、トレードオフではあるが・・・) もう一つは135フルサイズでのレンズの周辺画質の劣化で、どうしても15%くらい内側に納めてしまう癖がついたことだ。計算すると1670万画素が1200万画素になるわけで、これは"モッタイナイ"

そんなわけで、APS-Hはどうかと考えていた。1DMarkIIIである。40Dと同じ画素数なのがマイナスポイントだが、これが納得できる画質なら導入しようと、新宿のキヤノンSCでテストした。参考のため2100万画素の1DsMarkIIIの画角をそろえて較べた。RAWデータを仕事場のMacG4で展開すると結果はあきらかで後者の圧勝であった。解像感はもとより匂い立つような柔らかな色彩感に驚いた。

元画像は5616×3744pxなので単純に1/2にリサイズした画像をアップした。それでも左右2808pxもある。サーバーの制約から960KB以内に納めているので劣化ご容赦。
1DsMarkIII+EF24-70mmL 手持ちでISO400、F11、1/13sec。ノートリミング、レンズ補正なし、RAW展開したあとはリサイズと圧縮のみ。
http://blog.goo.ne.jp/gencyo/e/3bd833e5a048ca39a2d01a292aa03fe2

25MBオーバーのRAWデータがPhotoshopCS3 cameraRAWですんなり作業できたこと、24-70mmズームが1Ds3の高分解能力をそれほどスポイルしないこと、これらは意外だった。ライティングがストロボ主体に変わったし、頑丈なギアヘッドもあることだし、これは行くしかないか・・・



2008/03/14
938 立川談志10時間スペシャルで思ったこと

さきの日曜日のNHK-BS hiのスペシャル番組。お昼の12時から夜11時まで、途中で大河ドラマをはさんだものの延々10時間!ひとりのアーティストのための画期的企画ではあるけど、どうも"談志はスゴイぞ"一点張りのスタンスは如何なものかと思った。

カリスマに集まる関係者たちが賞賛するのは仕方ないが、放送局まで同じスタンスだったらかなりマズイ。なぜなら談志の落語はそれほどのものではないと思うのよね。わたくしめは小学4年のおり、小ゑんから談志を襲名したときの実況中継をNHKの第一放送で聴いていたが、後年その芸質が進化したようには思えないのだ。

彼の場合、その才気のせいで落語だけ一心不乱というわけではなかったし、それはそれで価値はあるけれど、同世代でいえば志ん朝の晩年の芸域には届いていないと思う。ましてや志ん生や圓生の醸し出す"落語的超リアル"とはかなり距離があるというのが個人的な評価だ。といってけして嫌いな落語家ではなくて、その昔、彼女(現・妻)を正月デートに誘った際は東宝名人会の談志の高座が目当てだったくらいなのだから。いまでもワンアンドオンリーのアーティストとしては最高レベルの存在だけど、けして名人とか天才なんかではない。

で、はなしを放送に戻すと、10年ちかく前の三鷹公会堂「芝浜」は主人公の女房の描き方・仕草に談志的現代を忍ばせながら、若いときのような理屈のエッジが消え失せて、彼の枯れる芸とはこのようなものかと納得したのだが、スタジオ収録の「居残り佐平次」は流れの悪い二流の落語でしかなかった。

あの口演前後の極端な落ち込みぶりは、思い描く理想像と現実のギャップに苦しむ真摯な表現者の姿だと思うし、この番組はそこをポイントに捉えていたから10時間の価値はあったと思うが、むしろ、寄ってたかって祭り上げる取り巻き連を談志はどんな思いで見ているのか、そこが気になる部分だ。




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