音のない音楽や文字のない文学はあり得ない。それぞれが固有の方策・手段を用いるから表現たり得ている。制約やフォーマットのないところでは、他者へ放射するようなチカラは発生しない。抵抗があることで電圧が生じるのと同じだ。しかし、音=音楽ではないし、文字がそのまま文学になる訳ではないだろう。表層を剥ぎ取った表現の「核」は、手段である音や文字の領域を使いながらもまったく別のところにある。 ・ オーディオ機器におけるテイストのとらえ方だが、わたくし的傾向(悪い癖?)で考察すると、どうも世間では表層の部分にポイントを置きすぎていると思うのだ。音楽のなかの何がどう伝わるかが最重要なのだから、いち個人が音楽に向かい合うのにテイストのバリエーションは必要なのかどうか・・・。あれは高校生のころか。オーディオへの興味が自分のなかでかなりのスペースを占めるようになって思ったことは、モンクとエバンスではオーディオに求めるものが異なるだろうということだった。もっとも、エバンスの底知れない闇を知った今では、そのようなステロタイプな考えは採らないけれど、表層とコアという分類を無意識にしてしまう傾向はいまでも続いている。本当は境目なんかなくてすべてはシームレスに繋がっているのだろうけれど。 |