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2015/12/24
1915 排他主義を駆逐するために

"Audism"という思想は、自分たちの領域をある言葉で括り、そこに属さない事象を卑しめる極めて悪質なものだ。似ている言葉が現れたとして、それがどのような成り立ちで生まれたものかを考慮せずに、無分別にバッシングすることは、前者の存在を容認することと同じだ。今回の「オーディスト」問題で、わたくしが危惧しているのは、さまざまな(肯定的な)言葉が差別用語として際限なく拡がり、言葉での表現を不自由にしてしまうことだ。糾弾すべき対象は前者であるということを明確に指摘して、この問題は終了とする。

なお、オーディスト問題では、当事者ブログ「audio identity」が、当方の発言に異議を述べられているので、昨日の日記を追補している。



2015/12/23
1914 続・言葉狩りあるいは人格攻撃

昨日のわたくしの日記について、宮ア勝己氏が自身のブログでコメントを寄せている。
http://audiosharing.com/blog/?p=18653

> 私がオーディストについて書いてきたことを読み返していただければ、「言葉狩りあるいは人格攻撃」するつもりはまったくないことがわかってもらえるはずだ。

一連のコラムを読み返すと、たしかに山口氏への直接の批判はなく、ステレオサウンド誌のスタンスについての糾弾であることが分かる。この雑誌が、五味康祐氏という精神的シンボルによって成立しているという前提で以下のように綴っている。

> 五味先生が補聴器を使われていたことは知られている。つまりは、ステレオサウンドの読者をオーディスト(audist)呼ぶのであれば、ステレオサウンドは、ステレオサウンドの読者を五味先生を差別する人と呼ぶことになる。

このスタンスならば、MJ(無線と実験)に同様の記述があっても問題視しないのだろう。しかし、この三段論法は無理がある。五味氏は補聴器を用いていたが、自らを「聴覚障碍者」だとは考えていなかっただろうし、むしろ卓越した聴取能力を誇っていた。音を聴き取ることは、耳の能力だけでは語れないことは、以前から申し上げているとおりだ。

という前提はさておき、

>《このような言葉狩り転じて人格攻撃の様相》──、なぜこう受け止められたのか、と思ってしまった。

山口氏の「オーディスト」という表記が出版されたことに関して、出版社も広告クライアントも訂正記事やお詫びの文言を出すことはあり得ない。もとより、差別概念の「audisum / audist」とオーディオ人「オーディスト」は、それぞれが別の立ち位置にある造語であり、意味するところも正反対(外と内)。本来ならこのことを明記して「オーディスト」という言葉を使い続ける選択肢があったと思う。

しかしながら、組織というものは、障害差別に関わるクレームにはめっぽう腰が引けているから、宮ア氏のコメントがネット上に拡がり、編集部に伝わった時点で、すべてが終わってしまったのだ。ステレオサウンド誌からは山口氏の記事が消え、また別の出版社は山口氏の新刊本の準備を終えていたにも関わらず、この騒動を契機に出版を取り止めている。これらは組織が個人に圧力を掛けたというより、山口氏ご本人の意志なのだと思う。一言一句に魂を込める文筆家としての矜持といえば良いのか。でもそれはとても悲しいことだ。組織、ましてやステレオサウンド誌に在籍していた宮ア氏なら、このような推移をたどることは容易に想像出来たはずだ。

《このような言葉狩り転じて人格攻撃の様相》という表現、結果的にはまさにこのとおりではないだろうか? 

心から山口氏の再起を願っている。

※12/23の「audio identity」が、当方の発言に異議を述べている件で、当方からの返答を記す。

・連絡した先は編集部ではなく原田勲氏だった。→ 12/23の貴殿ブログで初めて明かされた事実は当方では知る由もなく、誤認として訂正させていただいた。

・山口孝氏がどう思われているのかを確認していただきたい。/私が連絡したために消えてしまったのだろうか。→ 当方の記述は、関係者の一次情報で書いている。大筋に誤りがないよう時系列に沿ったが、経過時間等は関知していないし、さらなる確認はしない。二次情報以下は多数あるが公表はしない。

・私自身は、山口孝氏を糾弾しているつもりはまったくない。→ これは了解しているが、結果は別の話になっている。

・山口孝氏は、こういうことになるのを望まれているのか、それとももう書かないでほしい、と思われているのか、→ 彼はネットをやらないので、貴殿のことは二次情報から得ていたと思われる。わたくしは今回の日記(12/22)で、この件を初めて話し合ったが、心のなかは知る由もない。

・読んでいる人ならば、《自らを「聴覚障碍者」だとは考えていなかっただろう》とは間違っても書けない。→ 貴殿のような熱烈な読者ではないし著作はすべて処分している。記述された文章が真実かどうか疑うスタンスがある。わたくし自身が目撃した事実もあるし多数の状況証拠からは、往年の彼は聞こえていたと考えている。まして"Audism"思想の対象になるような聴覚障碍者ではなかったというのが、わたしくの判断だ。以上



2015/12/22
1913 言葉狩りあるいは人格攻撃

audio identity (designing)を主宰しておられる宮ア勝己氏が自身のブログで、オーディストという言葉を使った山口孝氏とその出版元のステレオサウンドを激しく糾弾している。

英語表記の"audist"という語は現在では聴覚障害者を卑しめる意味で一部の人間には通用するが、昔から(今でさえ)一般的に使われた言葉ではない。ウィキペディアによるとAudistの語源であるAudismは1977年にハーラン・レイン氏が彼の博士論文でこの語を造り出した、とある。造語なのだ。

山口孝氏は当然ながら、そのような意図がないことは彼の経歴からみて明らかであり、シンプルに「オーディオ人」という意味合いだろう。audistを社名に入れたオーディオディーラーさえあるのを、宮ア氏はご存じなのだろうか?
http://www.audist.fi/www/

このような言葉狩り転じて人格攻撃の様相は、まこと残念なことだ。今後、彼が「オーディスト」という言葉を使うことはないだろうが、忌まわしい差別用語を廃語にして、楽しいオーディオ用語に変身させることを応援するという手もあるのではないか。



2015/12/18
1912 渚(南伊豆にて) 

α7s + EF35mm f2.8 ZA f5.6, 1/500sec, iso 12800



2015/12/18
1911 月(南伊豆にて)

α7s + EF35mm f2.8 ZA f5.6, 1/500sec, iso 40000



2015/12/18
1910 花(南伊豆にて)

α7s + EF35mm f2.8 ZA f5.6, 1/250sec, iso 250



2015/12/14
1909 EOS-1D + ULTRON 40mm F2 SLII

f5.6 1/320sec. iso:640



2015/12/14
1908 EOS-1D + ULTRON 40mm F2 SLII

f5.6 1/320sec. iso:640




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