960 演奏者の"気"の表現、あるいはSNと鮮度についての試行
 I
S/Nが良ければ、微細なニュアンスが出て演奏の気配も出やすいと考えるのは普通だが、実はそうでもないところが悩ましい。わが家のシステムでは増幅系のゲイン配分を考慮してオーバーオールの残留ノイズを聴感上ほぼゼロに押さえ込んでいるが、アンプのゲインを落とすプロセスで演奏の"気"もやはり落ちるのではないかと最近疑っていた。アルテックで残留ノイズが聞こえないのはやはり怪しい(笑)
わが家の場合プリのアウトプットトランスを外してアンバラに変えると大幅にゲインが上昇し、いままで12時のボリューム位置だったものが8時半くらいになる。SPからの残留ノイズも夜間では気になるレベル。過去の実験ではそのノイズだけでNGだったのだが、音はまったく違う。なんというかNFBをやめて無帰還にしたような蛇口全開モード。やはり、こっちか。
この3年、真面目な音作りに偏りすぎたか、このような奔放に弾け飛ぶサウンドを忘れていた。音楽の"気"が充満し、それが自然に溢れ出ると表現すればよいのか。
II
以前から "鮮度" はけっこう気にしていた。単段無帰還プリアンプやウーファーのネットワークスルーなどはそのためと言っても過言でない。いちおう成果はあったと思っていたが、甘かった。
いままで聴いていた鮮度は単なる "鮮度感" に止まっていたと今は思う。そのくらい今鳴っている音は"活きている"音。オーディオが鳴っている感じがあまりしない。
ただ、ドライバーから聞こえる残留ノイズとゲインが高すぎてボリュームコントロールが難しい点は要改良だ。ゲインを下げる方策を考えているが、たぶん、なにをやっても今の鮮度は保たれないような予感。
III
ディネッセンのJC-80というプリアンプは素晴らしい音質なのにS/Nが悪いという評価があった。当時のステレオサウンド誌の記事で興味深い記述があって、それは長島達夫氏が、
「S/Nが悪いことと音の良さには関連があるんじゃないだろうか?」 と述べたのだ。
テクニカル方面で信頼されていた氏としては意外な意見で驚いたが、他の評論家たちからはほぼ全否定のような反論が出て、そこでその記事は終わっていた。
わたくしは、そういう因果関係はあると思っていて、電圧増幅段のNFBには未だに否定的だし、真空管でも石でも、増幅ディバイスには持って生まれたμ(増幅率)があり、それを落とすいかなる手段も鮮度を劣化させるのではないかと。
とすれば、ボリュームは諸悪の根元だし、負荷インピーダンスは高いほど良いということになり、はたまたμの高すぎる石はもともとプリアンプには不適当・・・などということになってしまうが(笑) 要は数値的なスペックには出にくい「鮮度」にプライオリティを置くオーディオ作法は重要ではないかと、ここ数日のわが家の音を聴きながら思った。
IV
使いにくいとはいえ、ビクター・ウーテンのスラッピングベース「アメイジング・グレイス」やグレニーのパーカッションをボリューム11時で聴くと・・・これは恐ろしい世界。 ウーテンのバンジョーっぽいアルペチオ奏法で、指一本一本が見えるような俊敏な弾け方はかつて聴いたことがない。
アナログディスクのオランダ盤でアン・バートンの「ブルーバートン」 ウッドベースの質感はもとより距離感と大きさに、こういう録音だったのかと はじめて知った。これでピアノがもう少し立ってくれるとパーフェクトだろう。
V
現行のプリアンプをフォノイコ専用にしてあらたにライン専用アンプを作るのがベストかもしれない。回路は現行のラインアンプの最終段のままでいい。CDの出力をダイレクトに入力するからグリッド電位は3Vくらいが適切かもしれない。SRPPの上側カソードアウトにアルプスのアルティメイトボリュームをぶら下げる。まったく無謀な構成みたいだがこれまでの経験からぜったいイケル。ホントだ(笑)
デザインはアルミの正四面体(三角錐)で決まりだろう。 |