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2011/08/20
1379

あの原発事故が、世の中の見方を大きく変えさせた。
未だに、3月11日以前の価値観をもって原発を推進しようとする人々がいるのが不思議だ。
昨晩のテレ朝「報道ステーション」でコメントしていた石田衣良もそうだ。
人間はいちど手に入れた技術を手放したことがないとか、必要悪として原子力もしょうがない、だとか。
君はどこの世界から世の中を見ているのかと、おおいに憤慨していたわけだが・・・



2011/07/20
1378 野坂昭如1986年の予言

「ぼくは予言しておく。原発事故がおこる、さればお国は、世間全般が、家中みんな電気で動く文明生活を求め、電力によって支えられる産業を、すすんで担ったからだ、一億二千万、つつしんで犠牲者にザンゲしましょうと呼びかけるに違いない。」(野坂昭如 広瀬隆『東京に原発を!の解説より)

野坂昭如&クレイジーケンバンド「終末のタンゴ」
http://youtu.be/Kza__qRsBLg

EOS-1D + ULTRON 40mm



2011/07/17
1377 Aging

河口湖畔の富士ビューホテルである。
以前に訪れたときは、新築間もない頃ですべてがピカピカの光彩を放っていた。
あれから25年。
3歳だった娘は社会人になって独立し、この孫と旅行することが最大の楽しみだった祖父母はすでに他界した。

哀愁を漂わせる銀食器の質感に、つい自分たちの来歴を重ねてしまう。
カメラはEOS-1D(初代)とULTRON 40mm。この場に相応しい質感描写ではないだろうか。



2011/07/14
1376 ZAZ

ZAZをスゴイと思うのは、澱のある声質、奔放なグルーブ感、そして強烈な自己主張かな。新世代シャンソンを呼ばれた人たちに多く感じたフラットな清潔感はない(笑)
http://www.youtube.com/watch?v=wKgM9Hi634E




2011/07/01
1375 ●






2011/06/22
1374

Powershot G12 f4.0, 1/125sec. iso:320



2011/06/13
1373 Light & Darkness

ドアの先の階段を2段下がったところがAさんのリスニングエリアだ。
床は大地に直結したコンクリートにウッディなフローリングが敷き込まれている。
小さなトップライトから注ぐ仄かな外光が、
漆喰の白壁を柔らかなコントラストで浮かび上がらせている。
そして、その光が光度を失いかける境界面にスピーカーが鎮座している。
日常と非日常をこの光の挙動が司っていると思った。

このストイックな空間は、記憶にある山口孝邸のそれとオーバーラップする。
http://www.vvvvv.net/sense/1002.html

Aさんの存在は2004年から知っていたのだが、
「ブラック・ウフル」の縁で I さんと交流を得たことでようやく訪問することができた。
音のことをいろいろ書こうと思ったが、
この写真からくみ取っていただければ十分ではないだろうか(笑)

 自然なエッジ感を損なわずにコントラストはあくまでも穏やか。
 細部まで疎かにしない描写と聴き手と正対する浸透性。
 機械を意識せずに音楽と対峙できる希有な装置のひとつであると思うから、
 わたくしごときの分析はほとんど意味がない。

それにしても、ムラビンスキー+レニングラードフィルのチャイコフスキー「悲愴」は見事だった。
CDプレイヤーから、このように強靱かつしなやかなバネの力を感じるとは・・・
ミージアの熱い放射力、ちあきなおみの複雑な揺らぎetc...
元もとディスクに入っている情報とはいえ、
容易に出せるものではないというのは個人的に身にしみている。



2011/06/04
1372 ブラック・スワン

平日夜で雨とあって観客はわたしらを含め全5名!
近所のシネコンなので、続けてほしいがどうなるのだろう?

シンプルなストーリーで登場人物も少ない。

バレエの話なのに、アメリカンテイストが強烈で
(ホラーっぽいニュアンスとか、時系列どおりの展開とか・・・)
遠近感やディープな質感とかは期待できない。

ライバル役リリーのミラ・クニスさん、土屋アンナ系の濃さ、強さがいい。

映像はダイナミックなアングルとトリミングで、
冒頭舞台シーンの、いまだ見たことのない鮮烈な「白鳥湖」。

ネタバレ的感想を書きたくないと思うと
表面的な印象だけに終わってしまうのが、なんとももどかしい(笑)

見始めてすぐに気がついたのは
「白鳥湖」における白鳥/黒鳥の同一性と
主人公とライバル役の関係が完全にリンクしていることだった。
自分であって自分ではない部分(あるいは願望)を投影したリリー。

監督はもっと長い作品を撮ったのかもしれない。
プロデューサーが大幅な編集を指示したのか、
あるいは、説明に流れることを避けたのか?
とすれば、もっと感覚的な構成があり得るなあ、などと
帰り道で思っていた。




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