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photo and Text: machinist

587 And more...
高校2年のときクラシックギターを2か月だけ習った。地元の名曲堂というレコード屋2階のヤマハギター教室。なぜ2か月かというとクラス担任が受験を控えてそんなもんやらせるんじゃないって、親に忠告したんだ。ったく大きなお世話だ。その教室は生徒が少なくてたいていは個人レッスンだった。習得レベルに応じてその場でアレンジして譜面を書いてくれた。田辺さんっていうのだけれど、いい先生だったなあ。

Stratocaster1954(Fender Japan 40th Anniversary model)
Leica digilux1 2005/12/08



586 港が見える丘 WinterVersion
ジャズギターでストリートデビューしようという計画は何年も前に頓挫した。すこしは素質があると思ったのだが、手が追いつかなかった(笑)。これを世間では才能がないと言うのだろう。いま密かに企んでいるのは演歌の弾き唄いだ。"無法松の一生"をオリジナルアレンジで完成させるのが老後の最大の楽しみ。問題は"唄"だなあ。
今日は年末スペシャルということでギター演奏を公開する。大好きな"港が見える丘"を師走の街のイルミネーションをイメージしてアレンジしてみた。いつもご大層な論陣張っているくせに、こんな拙いプレイを晒すか!と眉をひそめるアナタ。クリックしない自由もあるということでご容赦ご容赦・・・。
http://www.vvvvv.net/audio/sound/minatogamieruoka.mp3
EOS-1Ds MarkII EF70-300mmDO 2005/12/07



585 再び、音の在りかについて
先日の紀尾井ホールでの体験は、生演奏とオーディオ再生を考える意味でも大きな示唆を与えられた。その一つは、たとえアコースティックな楽器であっても、そのサウンドは演奏者自らが創り出すものだということ。もとより楽器とは不完全なものである。例えば三味線は駒(ブリッジ)の選定や、"さわり"量の加減など、音を変えるパラメータが非常に多い。
※"さわり"についてはこちらのページを参照:http://www.vvvvv.net/audio/syami03.html

もう一つは、演奏と音が確固たるものとして生まれ出ても、空間に解き放たれた瞬間に、その音は極めて不確かな存在になるということだ。演奏者のステージ上の位置や床との接地状況、背後の音響条件、空間固有の特性、さらには聴取位置 etc...。これらの何かが変われば聴き取れるサウンドは異なる側面を示す。いったいどこに原音があるのか。普遍的な"原音"というものはこの世に存在しないのかも知れない。

演奏者自身がこころに描く原音イメージというものは一流の音楽家なら当然持っている。しかし、さまざまな理由で理想とは隔たった状況で演奏することは大いにあり得る。しかも、オーディオ再生の問題を考える場合、録音というプロセスに関わる人間が上記の理想イメージを共有しているとは限らないし、新たな価値(あるいは弊害)を付加される場合もある。再生では、聴き手がその音楽と演奏者に対してどのようなスタンスを取るのかが問題になるだろうし、よりアクティブにその音響(再生という意味の)に向う余地はあると思う。"原音"はそういった聴き手の意識の中により多く存在するのではないかと・・・。
EOS-1Ds MarkII EF24-70mm 2005/12/05



584 今日、紀尾井ホールで
紀尾井ホールはシューボックス型の客席数800のコンサートホールである。数年前に故平尾貴四男氏を偲ぶ演奏会で、その柔らかく温かいホールトーンに触れおおいに感銘を受けた。滞空時間が長いにもかかわらず混濁せずに透明度を保った響きは、室内楽や声楽の表現力で国内屈指の存在ではないだろうか。
ここには純邦楽専用として設計された(これも稀な存在ではあるが)小ホールも併設されていて、ぼくの師匠である今藤政太郎氏のリサイタルも例年こちらの小ホールで催されていた。今回あえてクラシック専用と思われる大ホールで開催するということで大いに興味をもっていたが、幸運なことにリハーサルに同席する機会を得た。

公演まで2週間以上の余裕をもったこのリハーサルの主旨が一風変わっていて、音響チェックが大きな目的なのだ。元来、三味線音楽などの日本の伝統音楽では、パルス性の楽器が多いことや日本語の識別性が"子音"に多くを依存しているということもあって、残響時間の長いクラシック用途のホールでの演奏は馴染まないとされている。今藤政太郎氏の目指すところは邦楽における"新たなるソノリティ"の獲得と見たが、じっさいのところ氏も大いなる不安があるようで、母音が響きすぎたり、打楽器の速いパッセージが不明瞭になる懸念に対する対策、準備という意味合いが大きいようだ。

邦楽器の配置は常識的なものであったが、鳴り物系の下に敷く毛氈を2重にして反射をコントロールしつつ、「ダンプしすぎだなあ。もっと硬くて薄いものにしよう・・・」など、まるでオーディオマニアのようだが、氏は実際にオーディオマニアなのだが(笑)。問題は背後の金屏風だった。金屏風は一見したところ反射板だが、低域に関しては吸収材になるという代物だ。これを撤去してホールの構造的反響板だけにすると、言葉はやはり不明瞭になるが、声の低域はより深く表現され、ちょっといままで聴いたことのないサウンドになった。スタッフの多くは金屏風有りで意見が統一しかかったので、ぼくはあえて異論を申し述べた。「常識的な三味線音楽の響きやバランスを狙うなら屏風有りだと思うけれど、このホールの響きを活かした新しい三味線音楽という意味で、屏風なしがサウンドの一体感もあり断然いいと思う・・・」
演奏会は今月の18日(日)である。はたして屏風はあるのか、ないのか、興味津々(笑)。演奏陣はこんにちの純邦楽の第一人者たちだし、演目に個人的に大好きな「英(はなぶさ)執着獅子」があるから、少しでも興味を持たれたかたは是非お聴きくださいませ。

今藤政太郎 邦楽リサイタル
紀尾井ホール
2005年12月18日(日)14:00開演(13:30開場)
出演:今藤政太郎、東音宮田哲男、今藤尚之、藤舎名生、中川善雄、望月朴清、藤舎呂船、藤舎呂悦 ほか
S席(指定席) 6,000円、A席(指定席) 4,000円、自由席 3,000円
お問い合わせ:CATチケットBOX 03-5485-5999
EOS-1Ds MarkII EF24-70mm 2005/12/02






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↑フルカラー(RGB各8bit)の精密グレースケールの両端を表示しています。すべてを正確に画き分けるモニターは存在しないと思います。
しかしながら「14」や「242」が識別できない場合はモニターレベルで顕著な黒潰れや白飛びが発生しています。ガンマユーティリティなどを使ってモニター調整することをお奨めします。
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